検察、証人でっち上げ 沖縄刑務所暴動事件 裁判記録発見、瀬長ら人民党つぶし鮮明 - 琉球新報(2018年4月28日)

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-709324.html
http://archive.today/2018.04.28-033449/https://ryukyushimpo.jp/news/entry-709324.html

新たに見つかった沖縄刑務所暴動事件に関する裁判資料。瀬長亀次郎ら人民党幹部を罪に陥れようとした様子が記録されている

1954年の沖縄刑務所暴動事件に絡み、「人民党事件」で服役していた瀬長亀次郎や又吉一郎ら人民党幹部を、暴動の首謀者として検察がでっち上げようとした裁判記録が、27日までに見つかった。研究者は「記述が相当詳細で、人民党をつぶそうとした動きがよく見える。戦後史研究の空白を埋める貴重な資料だ」と指摘。米統治下の沖縄では、政治弾圧や人権侵害が横行していた。サンフランシスコ講和条約が発効し、沖縄が日本から切り離された「屈辱の日」から、きょう28日で56年となる。
この裁判記録はB4サイズで計80枚ある。検察の公判請求書や弁護士宛の要請文、事件の経緯などを記した報告書などから成る。人民党は日本復帰を掲げ、瀬長は党書記長、又吉は党中央委員だった。
暴動事件は54年11月7日に発生した。刑務官の暴力や不当な待遇に怒った800人余りの受刑者が刑務所を占拠し、50人余りが逃走。人民党事件で服役中だった又吉一郎ら2人が首謀者として、騒擾(そうじょう)罪で起訴された。
記録によると検察は、暴動に関わった受刑者にたばこやジュースを渡し、「瀬長、又吉を支持するか」「瀬長を起訴するから証人になってくれないか」などと持ち掛けたという。実際に「瀬長、又吉を顧問にした」と証言した人もいた。
又吉ら被告側は、証言を検察の「でっち上げ」と批判し、「嘘(うそ)やこじつけがまことしやかに殊勝らしく述べたてられている」「事件の責任を人民党になすりつけようとしている」などと強く反論した。
57年9月、琉球政府の中央巡回裁判所(現在の地裁に相当)は又吉に「無罪」を言い渡した。もう1人は懲役1年の判決が出たが、上級審で差し戻され、無罪となった。関連資料をひもといた琉球大学の森川恭剛教授(刑法)は「証言の信用性が否定され、米軍と通じた検察のでっち上げが失敗した。司法が機能していた」と強調した。
沖縄国際大の鳥山淳教授(沖縄現代史)は「米軍は人民党の社会的影響力を警戒していた」と指摘。その上で「当時、伊江島や伊佐浜など基地が大幅に拡張されていった。暴動事件と結び付け、人民党の活動を抑え込もうとの意図があったのだろう」と話した。
一連の記録は50年ほど前、又吉が宮古島の人民党関係者に渡していた。昨年末、那覇市の不屈館に寄託された。内村千尋館長は「50年代の沖縄を記録した貴重な資料。研究などに活用してほしい」。同館は5月1日から、資料の原本とコピーを一般公開するという。(真崎裕史)

<用語>人民党事件
米軍の退島命令を拒否した党員をかくまったとして、1954年10月6日、犯人隠匿ほう助などの容疑で沖縄人民党の瀬長亀次郎書記長(立法院議員)や党中央委員の又吉一郎(豊見城村長)が逮捕された弾圧事件。さらに党員28人も出版物の布令違反で逮捕された。瀬長は懲役2年、又吉は懲役1年の判決を受けた。沖縄刑務所暴動事件は瀬長、又吉が同刑務所に入って間もない54年11月7日に発生した。