(考える広場)気分はもう戦前? 今の日本の空気 - 東京新聞(2017年8月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017081202000195.html
https://megalodon.jp/2017-0813-1015-38/www.tokyo-np.co.jp/article/culture/hiroba/CK2017081202000195.html

「伝統文化尊重のため」に「パン屋」を「和菓子屋」に変更した教科書、犯罪の合意を罰する「共謀罪」法、そして「教育勅語」の教材使用を否定しない政権。今の社会に、戦前のかおりがしないか。

教育勅語> 1890(明治23)年、明治天皇の名で発布され、教育の根本理念とされた。親孝行や夫婦の和といった道徳を説きつつ、危急の事態の際には皇室国家への奉仕も求めている。戦前から戦中に国家統制が強まって神聖化され、天皇や国のために身をささげることを求める思想に利用されたとされる。戦後の1948(昭和23)年、国会は排除と失効を決議したが、安倍政権は今春、教材として用いることを否定しない考えを示した。

◆ボロボロの平和繕え アニメーション映画監督・高畑勲さん
現政権は戦後を終わらせて、日本を新たな「戦前」にしてしまったのではないでしょうか。自衛隊憲法九条二項の「戦力の不保持」に反してはいますが、これまで国連平和維持活動(PKO)でも武力の行使はできませんでした。ところが二〇一五年九月に安保関連法が成立し、戦争ができる国になりました。
しかも、特定秘密保護法で都合の悪いことを国民に隠せるようになり、「共謀罪」法で国民を見張ることもできるようになりました。国民を支配して黙らせて一定の方向へ向かわせる−。まさにあの戦前と同じ流れではないかと思います。
九歳で終戦を迎えた僕は戦後民主主義の一期生です。新憲法下で七十年、民主主義は日本で成熟したでしょうか。空気を読んで流れに乗ってしまいやすい点は変わっていないのではないですか。希望を持ちたいのですが無力感も大きいのです。結局投票でしか意思表示ができないし政権に反対する勉強会やデモに参加する人の輪がどんどん広がっているとは感じにくい。
一九八八年の映画「火垂るの墓」は反戦のメッセージを受け取ってもらうために作ったわけではありません。戦時中に何があったのか、人はどう生きたのかを見つめてもらいたかった。そして、もし自分が主人公の清太や、嫌みを言うおばさんの立場だったらどう振る舞ったか、と見る人に考えてもらいたいと思いながら作ったのです。
今、世界中で内戦だらけです。大国の軍事的な「人道的介入」が成功した例はなく、悲惨さが拡大するだけ。粘り強い平和的な話し合いでしか解決できないことが、はっきりしてきたのではないでしょうか。
「君が平和を欲するならば、準備せよ、戦争を」。これは古代ローマ以来、連綿と信じられてきた警句です。諸国はこれに基づいて軍備を増強してきました。ところが、第二次大戦後の冷戦で欧州が戦争の危機に直面したとき、フランスの詩人プレベールはこれを大真面目に駄じゃれでひっくり返しました。
「君が戦争を欲しないならば、繕え、平和を」。フランス語のprepare(準備せよ)の「p」を削り、repare(繕え)に変えたのです。
安倍首相は戦争の準備をしていますが、今こそボロボロの平和を繕うために、日本は全力を注ぐべきではないでしょうか。
 (聞き手・白井春菜)

※フランス語の単語の最初のeはアクサンテギュ付き préparer
<たかはた・いさお> 1935年、三重県生まれ。9歳のとき、岡山市で空襲に遭う。東京大仏文科卒。85年、スタジオジブリの設立に参加。「火垂るの墓」「かぐや姫の物語」などを監督。


◆ネット傾倒に危うさ 桃山学院大准教授・石田あゆうさん
「今の雰囲気は戦前に似てきた」と言われます。戦前の婦人雑誌などを研究してきた人間からすると、むしろ逆で、戦前が今と似ているのです。
戦前は、着飾るとか化粧するとか奢侈(しゃし)的なことはできなかったイメージですよね。ところが「主婦之友」などの婦人雑誌には一九四三年まで化粧品の広告が掲載されていました。昔も「美白」が求められ、「しみ」は大敵だった。女性の欲望の方向性は今とほとんど変わりません。戦前の生活は、これまでいわれてきたような抑圧一辺倒ではなかったのです。
広告表現についても、性的なものは規制されましたが、化粧品に関してはありませんでした。しかし、雑誌を作る側が勝手に規制を内面化させてしまった。その結果、美をうたうだけではなく、時局にふさわしい化粧品の使い方や、欧米のまねではない、日本女性にふさわしい美をうたうようになりました。
これが単純な時局迎合ではなくて、せめぎ合いがあるところが興味深い。「主婦之友」は時局迎合的な記事が多くて、後に社長が公職追放されるなど批判されましたが、広告と併せて読むと、出版差し止めという事態を避けるために時局に乗るしかなかったという実情が見えてきます。その代わり、読者の消費の欲望に応える広告を掲載し続けた。
問題は、そこに、戦争に傾いていく空気に反対する芽はありえたのかということ。時局に対応するという建前と、読者の欲望に応えたいという本音がせめぎ合い、それがうまく回った時「時局にふさわしい新しい日本女性の美」というものが誕生。一億総火の玉みたいな流れにつながってしまった。それは抵抗できない必然だったように見える。メディアが読者のために全力を尽くしただけなのに、結果として軍国主義に加担することになってしまったことに、今にも通じる危うさを感じます。
今の学生は、そんなメディアが時局に乗って戦争をあおった歴史について知っており、その延長で大手メディアへの不信感があるようです。メディアは世の中が今どうなっているかをイメージするのに不可欠なものですが、学生はそのことに抵抗がある。むしろインターネットに大手メディアが語らない「本当の真実」を求めてしまう。そこに戦前とは違う危うさを感じています。
 (聞き手・大森雅弥)

<いしだ・あゆう> 1973年、大阪府生まれ。専門はメディア文化論。著書に『戦時婦人雑誌の広告メディア論』『図説 戦時下の化粧品広告<1931−1943>』『ミッチー・ブーム』など。


◆全否定は過去見誤る 国際政治学者・三浦瑠麗さん
まず、「戦前回帰」を心配する方々が思い描く「戦前」のイメージに不安を覚えます。大日本帝国が本当の意味で変調を来し、人権を極端に抑圧した総動員体制だったのは、一九四三(昭和十八)〜四五年のせいぜい二年間ほどでした。それ以前は、経済的に比較的恵まれ、今よりも世界的な広い視野を持った人を生み出せる、ある種の豊かな国家だったと考えています。それを全て否定するのは一面的で、過去を見誤っています。
「今は、あの二年間に似ていますか」と聞かれたら、私は「全然似ていない」と答えます。「『共謀罪』法が治安維持法に似ている」というのも誤った分析。現代は当時のような共産主義アナキズム無政府主義)の脅威がありませんし、民主政治は成熟しました。人権を守る強い制度も定着した。あの時代のような拷問や弾圧が容認されるはずがないでしょう。警察官もはるかにプロ意識のある集団に育ち、抑制が利いています。
「戦前回帰?」の議論は元をたどれば改憲論議。現在の憲法改正を巡る議論は、護憲派改憲派ともに不十分な点が多い。
まず護憲派。悲惨な敗戦と、あまりに大きな犠牲を払った総力戦への反省に立脚する平和主義は、一国だけのものですか、と問いたい。日本が戦争をしないことにしか関心がない考え方は、世界に向かって普遍的に説明できるものではありません。志が低い。矮小(わいしょう)化された平和主義が、すでに国民の過半数の支持を得られなくなっている。それが今の状況でしょう。
改憲派は、一九四七年に連合国軍総司令部(GHQ)に押しつけられた憲法を否定し、少しでも変えることに固執していますが、こちらも小さい。安倍晋三首相は五月、憲法九条に三項を加える「自衛隊の明文化」を提案しました。連立相手の公明党への配慮だと思います。でも、それでは本質的な矛盾は解決しない。私は「戦力不保持」を定めた二項を削除すべきだと考えています。
改憲の議論を見ても、国家観、歴史観を持ち、理念を掲げられる日本人が育たなくなっていることが分かる。残念なことです。台湾の李登輝・元総統を見てください。困難な状況下で骨太の政治理念を養い、民主化を主導した名指導者ですが、彼を育てたのは戦間期第一次世界大戦と第二次大戦の間)の日本であり、戦後の日本ではないのです。
 (聞き手・中野祐紀)

<みうら・るり> 1980年、神奈川県生まれ。東京大大学院法学政治学研究科修了。東大政策ビジョン研究センター講師。『シビリアンの戦争』『日本に絶望している人のための政治入門』など。