(私説・論説室から)なぜ忘れ去られたのか - 東京新聞(2017年7月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017072402000121.html
https://megalodon.jp/2017-0724-1943-26/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017072402000121.html

およそ常識では考えられない痛ましい事件だ。先日、埼玉県の障害福祉サービス事業所「コスモス・アース」で、重い知的障害のある十九歳の青年が送迎用ワゴン車に約六時間も放置され、熱中症で息を引き取った。
他に四人の利用者を乗せていたが、運転手はこの青年だけを降ろし忘れたという。ふだんは出迎えて点呼を取る職員も、忙しくて手が回らなかったと聞く。驚くべき無責任ぶりだが、不可解な事態が相次いで発覚した。
昼食を用意する職員が利用者の出欠を示す黒板を見ると、青年は出席扱いになっていたという。当然、手つかずの食事が一人分残った。なのに、だれも青年の不在を気に留めなかった。事業所では一日六回、利用者の所在を確認していたというが、信じがたい。
開設は三年前の四月。この間にグループホームの経営にも乗り出している。ホームページを眺めると、大塚健司理事長は「自然環境を守り、障害者があたりまえに暮らせる地域づくり」を掲げる。利用者の日中活動に加え、みそ造りや芋煮会、コスモス祭りといった多彩な行事を催し、地元と交流してきた。
二〇一四年度に約四千三百万円だった事業活動の支出は、一六年度には約七千二百万円に上っている。事業の拡大で、理念が見失われてしまったのではないか。健常者にとっての「あたりまえ」の押し付けが、青年の命を奪ったのかもしれない。 (大西隆