https://mainichi.jp/articles/20170724/ddm/005/070/008000c
http://archive.is/2017.07.24-104210/https://mainichi.jp/articles/20170724/ddm/005/070/008000c
あの事件からもう1年になる。
相模原市の障害者入所施設「津久井やまゆり園」で19人の重度障害者が元職員に殺害されたのは昨年7月26日の未明だった。
植松聖被告(27)の初公判はまだ開かれていない。「障害者には生きる価値がない」という理不尽な動機がどのように形成されたのか、事件の核心部分はまだよくわからない。
同園で暮らしていた障害者は現在、横浜市内にある施設などで仮住まいをしている。悲惨な事件の記憶に今も苦しむ人は多いという。
神奈川県は当初、家族会などの要望を受けて施設の全面再建を打ち出した。しかし、山あいの大規模施設で再び障害者を収容することに対して各地の障害者らから批判が高まり、軌道修正をすることになった。
障害者の意思を中心に
現在、県は4年後をめどに相模原市と横浜市に小規模の入所施設を新設する方針を示している。小規模で家庭的なグループホームもつくり、選択肢を広げるという。時間をかけて障害者の意向を確認し、どこで暮らすかを決めるというのだ。
家族会からの反対論も根強いが、障害者自身の意思を中心に考えるのは当然である。重度の障害者についても本人の意思決定を大事にしようというのは国際的な潮流であり、厚生労働省は意思決定支援のためのガイドラインを策定している。
大規模入所施設は各地にあり、高齢で重度の障害者が多数暮らしている。地域生活への移行については、やはり家族の反対が強いこともあり、容易には実現していない。
神奈川県は福祉や心理職、弁護士など多分野の職員がチームで同園の障害者の意思確認に当たるという。今後の日本の障害者福祉のモデルとなるよう期待したい。
再発防止策は混迷している。
厚労省は再発防止のために精神保健福祉法改正案を今年の通常国会に出したが、精神障害の関係者から反対論が強まったこともあり、継続審議となった。
植松被告は措置入院から退院した4カ月後に事件を起こした。このため、自治体や保健所による退院後の相談支援、自治体間の患者に関する情報伝達の強化などが改正案に盛り込まれた。
ただ、障害者の地域生活を支援する福祉サービスは不足している。そちらには手を付けず、退院後の患者情報の伝達や相談ばかり強化するのは「監視」を強めるに等しいとの批判が寄せられているのだ。
また、植松被告は精神鑑定で刑事責任能力のある自己愛性パーソナリティー障害と診断された。現在の精神科医療では治療が難しいとされ、再発防止について精神科医療の枠内で検討すること自体の適否についても議論が起きている。残された重要課題だ。
個性認め合う多様性を
事件後、厚労省が防犯カメラによる監視や施錠などを強化するための補助金を出した。しかし、植松被告は通り魔などではなく、同園で3年以上働いていた元職員だ。勤務中に障害者への暴言や虐待行為があったことも確認されている。ハード面だけでなく、職員教育や虐待防止研修などをもっと重視すべきだ。
障害者を差別視する意見は今もネットなどで散見される。社会的格差が広がり、自己責任が過度に求められる中で、障害者にゆがんだ視線を向ける人は多いのかもしれない。
ただ、どんな人にも生きる権利はあり、重度障害者もそれは同じだ。肉親や周囲の人々を通して社会に何かしらの影響力を発してもいる。障害のある子からさまざまな刺激や影響を受けて偉大な功績を残した芸術家や経済人は少なくない。
被告の主張は優生思想に影響を受けたものだと指摘される。しかし、優生思想の基となったダーウィンの進化論は、優れたものや強いものが生き残ることを示す考え方ではない。たまたまその時代の環境に適したものが生き残るに過ぎないという自然の摂理を示したものだ。
地球環境や資源の有限性に直面し、未開拓のフロンティアが消失した世界で私たちは生きている。他者の存在を認めない偏狭な考えこそ、現代の環境に適していないと言うべきではないだろうか。
互いの価値観や個性を認め合い、支え合いながら共存しなければ、社会の維持や発展は望めない。あの痛ましい事件はそのことを私たちに訴え続けている。