秋葉原無差別殺傷9年 被害の湯浅さん、死刑囚に問う - 東京新聞(2017年6月8日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201706/CK2017060802000248.html
http://megalodon.jp/2017-0609-1003-07/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201706/CK2017060802000248.html

東京・秋葉原で二〇〇八年、歩行者天国を暴走したトラックが通行人をはねて七人が死亡し、十人が重軽傷を負った無差別殺傷事件は八日、発生から九年を迎えた。現場となった交差点には祭壇が設けられ、通行人らは「悲惨な事件だった。手を合わせるしかない」と沈痛な面持ちで犠牲者をしのんだ。
数日前に設置された祭壇には花や千羽鶴が供えられ、早朝から多くの住民や通行人らが手を合わせた。事件で殺害された武藤舞さん=当時(21)=の高校の同級生、吉岡高宏さん(30)は、舞さんに「君のことを覚えているから、安心してください」と声をかけた。
祭壇の設置から毎日、通勤途中に線香を上げているという千葉県柏市の女性会社員(44)は「会社が近くにあり、事件は人ごとじゃない。犠牲者の方が本当にかわいそうで…」と言葉を詰まらせた。
「最後には、一人の人間に戻ってほしい」。東京・秋葉原で七人が殺害され、十人が重軽傷を負った無差別殺傷事件の発生から九年。なぜ凶行に及んだのか。加藤智大死刑囚(34)の胸の内をつかもうと、被害者の湯浅洋さん(63)=島根県浜田市=は模索を続けている。
「彼が育ったところに行けば、見えるものがあるかもしれない」。今年五月、湯浅さんは加藤死刑囚の生い立ちを知ろうと、実家のある青森市内に初めて足を運んだ。
卒業した中学や高校なども訪れ、感じたことをそのままノートに書き連ねたが、行く先々で目にしたのは、どこの街でもありそうな風景。おぼろげに浮かんできたのは「ごく普通の青年」という姿で、「なぜ事件を起こしたのか。起こさなかったら、どんな生活を送っていただろうか」と答えの出ない問いが頭の中を巡った。
事件当時、タクシー運転手だった湯浅さんは、負傷者の手当てをしていたときに背後から脇腹をナイフで刺された。焼けるような痛み、鉄さびのような血のにおい、路上でぐったりと横たわった人…。あの日のことを、いまだに思い出す。
事件の真相を知りたいと、加藤死刑囚に何度も手紙を出したが、返信は一度だけ。「どうしたらいいのか、まだわかりません。いずれお会いしなくてはいけないとも考えております」。きちょうめんな文字で、謝罪の言葉が並べられていた。
「事件から目を背け、自分の世界に閉じこもっている」。何度も裁判を傍聴したが、疑問は晴れないまま、公判は終結し、死刑が確定した。目に映る加藤死刑囚は無機質で、人間らしさは感じられなかった。
しかし、湯浅さんには不思議と怒りや憎しみの感情はないという。「二度とこのような悲惨な事件を起こさないため、被害者の一人として諦めず、彼の口から真実を聞き出したい」と話す。
今月六日、約二年ぶりの手紙を投函(とうかん)した。何をつづれば良いのか悩み、下書きしては捨てることを繰り返し、結びの言葉をこう決めた。
「見せてもらえませんか。加藤智大の今を、心を」
今度も返信があるか分からない。それでも、待ってみようと考えている。「刑に臨む前に、自分が犯した罪、奪った命と向き合い、最後には一人の人間に戻ってほしい」