<死刑を考える>教誨師 「加害者にも目を向けて」 - 東京新聞(2018年12月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018123102000104.html
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広島拘置所のボランティアとして三十年間、死刑囚に寄り添ってきた教誨(きょうかい)師がいる。日本キリスト教団広島西部教会牧師の山根真三さん(74)。これまで三人の死刑囚を支え、刑執行の現場も立ち会った。「死刑囚も同じ一人の人間。被害者や遺族はもちろん、加害者にも目を向けてほしい」と願う。 (奥村圭吾)
一九八八(昭和六十三)年、知人の牧師の紹介で教誨を引き受けるようになった。直後に担当したのが、八四年に広島県福山市で発生した「泰州(やすくに)くん誘拐殺人事件」の津田暎(あきら)元死刑囚=執行時(59)。自分が指導する野球チームの男児を身代金目的で誘拐、殺害して死刑判決を受けた。
「人は誰しも心の中で怒り、憎しみ、人殺しをしているようなもの」「あなただけが特別ではなく、皆同じ土俵の人間なんです」
一日一時間、月二回の教誨を続けるうち、津田元死刑囚はキリスト教の考えを受け入れるようになり、四年後には洗礼も受けた。
九八年十一月。体調を崩した山根さんが、翌日の教誨中止を拘置所に申し出ると、職員から思いも掛けない言葉が返ってきた。「実は明日、執行があるんです」
急いで拘置所に向かった山根さんが持ち込んだのは、津田元死刑囚がファンだった歌手マライア・キャリーセリーヌ・ディオンのビデオ。「ものすごく、ええなぁ」。十年間で一番の笑顔でスクリーンを見つめていた。
翌朝、教誨室で再会した津田元死刑囚の顔色は蒼白(そうはく)だった。それでも「神様のところに行きます」と言い残し、旅立った。
執行後、刑務官らの顔はこわばり、刑場は極度の緊張感に包まれていた。「とても悲しく、後味が悪かった。もう二度とない方がいいと思った」と振り返る。

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「確定から一年たったんで。早く執行してください」。九九年に山口県下関市で通行人らを車で次々とはねるなどして十五人を死傷させた「下関通り魔殺人事件」の上部(うわべ)康明元死刑囚=執行時(48)=に言われた言葉を、山根さんは忘れられない。
「病気の余命宣告をされたようなもの」「生きる努力をしないといけない」。説得は二時間に及んだ。納得してくれたかと思ったが、その日を最後に教誨を頼まれることはなくなった。拒否の理由は「あなたは私を殺してくれないから」。三年後の二〇一二年三月、刑は執行された。
今も自ら死刑を望み、事件を起こす凶悪犯は後を絶たない。現在、三人目の死刑囚を受け持っている山根さんは「死刑が重犯罪の抑止につながっているかは疑問」と話す。
死刑に反対するのは、日本が憲法九条を通じて非戦を誓う国だから。「国家が人を殺す点では戦争も死刑も同じ。戦争を否定して、死刑だけを認めるのは矛盾していないか」

教誨師> 拘置所や刑務所、少年院を訪れ、希望者に宗教の教義に基づく話などをボランティアで行う宗教家。1872(明治5)年7月、真宗大谷派の僧侶が名古屋監獄(現・名古屋刑務所)の前身である徒場で囚人に対する説教を行ったのが始まり。今年1月現在、全国教誨師連盟に1846人が登録。内訳は、仏教系1199人、キリスト教系262人、神道系222人、諸教163人となっている。