辺野古埋め立て強行 「対話なき強権」の果てに - 朝日新聞(2017年4月26日)

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米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古沿岸できのう、政府が護岸工事に着手した。
沖縄県や多くの県民の反対を押し切っての強行である。
従来の陸上工事や海上の浮き具設置と異なり、埋め立て予定地を囲む護岸を造るため、海に大量の岩石や土砂を投入する。このまま進めば一帯の原状回復は困難となる。辺野古移設は大きな節目を迎えた。
この問題が問うているのは、日本の民主主義と地方自治そのものである。

■原点は基地負担軽減
政府は安全保障上、米軍基地は必要だと強調する。これに対し、県は県民の安全・安心のため基地の削減を求める。
政府のいう公益と、地方の公益がぶつかった時、どう折り合いをつけるか。対話のなかで合意できる領域を探ることこそ政治の使命ではないか。
ところが安倍政権は、県との話し合いには一貫して後ろ向きだ。国と地方の異なる視点のなかで歩み寄りを探る政治の責任を放棄した。その帰結が今回の埋め立て強行にほかならない。
移設計画が浮上して21年。改めて原点を思い起こしたい。
太平洋戦争末期、沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、悲惨な地上戦を経験した。戦後も本土の米軍基地は減ったのに、沖縄では米軍の強権的な支配のなかで基地が広がっていく。
念願の本土復帰後も、基地があるがゆえの米軍による事故や犯罪は続く。積み重なった怒りのうえに1995年の米兵3人による女児暴行事件が起き、県民の憤りは頂点に達した。
この事件を契機に、沖縄に偏した基地負担を少しでも軽減しようと日米両政府が合意したのが、普天間返還である。
紆余(うよ)曲折を重ねるなかで政府と県は「使用期限は15年」「軍民共用」という条件で合意したはずだった。だがこれも県の意向を十分に踏まえぬまま、米国との関係を最優先する政府の手で覆されてしまう。

■強まる「軍事の島」
しかも移設計画には大型船舶用の岸壁や弾薬の積み込み施設など、普天間にない機能が加わっている。だから多くの県民が「負担軽減どころか新基地建設だ」と反発しているのだ。
最近も北朝鮮情勢の緊迫を受け、米軍は嘉手納基地にF15戦闘機などを並べ、戦闘態勢を誇示した。さらに「新基地」建設で軍事の島の色彩を強めることは、県民の負担増そのものだ。
他国軍の基地がこんなにも集中する地域が世界のどこにあるだろう。政府はいつまで沖縄に過度の負担を押しつけ、差別的な歴史を強いるのか。
だが安倍政権の対応は、けんもほろろだ。
前知事が埋め立てを承認する際の約束だった事前協議を県が求めても「協議は終了した」。県の規則にもとづく「岩礁破砕許可」の更新も必要ないと主張し、3月末に期限が切れており更新が必要だとする県と真っ向から対立する。
政府が前面に掲げるのは、翁長知事の埋め立て承認取り消し処分は違法だとする「司法の判断」だ。一方、県は名護市長選や県知事選、衆参両院選挙で反対派を相次いで当選させた「民意」を強調する。朝日新聞などの直近の県民意識調査では、65%が辺野古埋め立ては「妥当でない」とし、61%が移設に反対と答えた。

■本土の側も問われる
ことは沖縄だけの問題にとどまらない。
自らの地域のことは、自らの判断で考える。地域の自己決定権をできる限り尊重する――。その理念に沿って、地方自治法が1999年に大幅改正され、国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」へと転換したはずである。
それなのに、考えの違う自治体を政府が高圧的に扱えるとなれば、次はどの自治体が同様の扱いを受けてもおかしくない。
沖縄県の異議にかかわらず、政府が強硬姿勢をとり続ける背景に何があるのか。
本紙などの沖縄県民調査では、基地負担軽減について「安倍内閣は沖縄の意見を聞いている」が27%にとどまったのに対し、全国を対象にした調査では41%と差があらわれた。
沖縄の厳しい基地負担の歴史と現実に本土の国民の関心が薄いことが、政権への視線の違いに表れているように見える。
翁長知事は今回の工事の差し止め訴訟などの対抗策を検討している。政府と県の対立は再び法廷に持ち込まれそうだ。
現場の大浦湾はジュゴンやサンゴが生息し、世界でここでしか確認されていないカニなど新種も続々と報告されている。
翁長知事は語る。「国防のためだったら十和田湖松島湾、琵琶湖を埋め立てるのか」
その問いを政府は真剣に受け止め、姿勢を正す必要がある。
沖縄の過重な基地負担に依存している本土の側もまた、同じ問いを突きつけられている。