(私説・論説室から)「無罪」裁判官の気骨 - 東京新聞(2017年4月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017042602000133.html
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二〇一〇年まで東京高裁の部総括判事をつとめ定年退官した原田国男さんは高裁時代、二十件以上の逆転無罪判決を出している。
これは異例のことだ。裁判官の世界では無罪判決を続出させたりすると、出世に影響するとか、転勤させられたりするとか、まことしやかにささやかれているからだ。
最近、原田さんが著した「裁判の非情と人情」(岩波新書)にこう書いている。
<私の経験でも、無罪という結論に至ったときは、一種の喜びを感じこそすれ、無罪にしたら出世に響くから、有罪にしようなどとは思いもしない。それでは、裁判官が犯罪者に転落することになる。この種の無罪にするには勇気がいるといった議論は、ためにするものである>
弁護士の木谷明さんも判事時代、数多くの無罪判決を書いたことで知られる。判決はどれも長文だった。どんな方面から検討しても検察官が上訴できないように判決を書いたためである。たった一件のみ控訴されたが、その一件も無罪が確定している。
裁判員時代になって久しいが、有罪か無罪かは天と地の開きがある。有罪とするには「合理的な疑いを超えた証明」が必要である。分かりやすくいえば、合理的な疑いが残っていたら、「疑わしきは罰せず」でなければならないのだ。きちんと裁判員に理解してもらわないと誤判のもととなる。 (桐山桂一)