この世界の片隅に 片渕須直監督に聞く:記事一覧:北陸文化:北陸中日新聞から:中日新聞(2017年1月14日)

http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201701/CK2017011402000211.html
http://megalodon.jp/2017-0115-1024-44/www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/bunka/list/201701/CK2017011402000211.html

終戦から つながる今
アニメーション映画「この世界の片隅に」のヒットが続いている。映画化を実現させるためのパイロット版の資金をクラウドファンディングで集めるなど制作段階からの共感が広がり、当初は63館だったのが累計で200館を超えた。キネマ旬報の日本映画ベスト10で1位となるなど映画賞も獲得。戦時下に広島市から呉市に嫁いだヒロインすずの目を通し、庶民の日常を丹念に描いた片渕須直監督(56)は「振りかざす正義より、伝わるものがあるはず」と思いを語る。(松岡等)
広島市内の街並みを描くために聞き取りなどの調査を重ねた−
「すずさんは戦時中に生きた人を代表する人。そのすずさんが見たものを通して、あの時代を描けたらと思ったのです。こんな街で買い物をしたり、生活をしたりしていたんだと、本当にいた人として感じたかった。呉の人たちから、当時は本当にそうだったと評価してもらい、うれしかった」
「登場人物たちの広島弁が、おばあちゃんたちのしゃべる広島弁なんだそうです。うちのおばあちゃんにも青春時代があったんだと思ってもらえるかもしれない。実際に当時を生きていた人から、そこは違うと言われるんじゃないかと心配していたので、そこを乗り越えられたのは誇りです」
こうの史代さんの原作同様、映画は日付ごとのエピソードを重ねながらテンポよく進む−
「彼女が生活していた丸二年、毎日ちょっとずつ世の中が変わっていき、戦争が自分たち庶民の上に来て、痛ましいことが起きていく。気が付いたらそうなっていたという時間の流れを描こうと。さらに言うなら、原爆が落ち、終戦になるのですが、そこで時間が止まるのではなく、そこからも日付は更新されていく。それが重なり僕たちがいる今につながっているのです」
−身近な人が死んだ時、大げさでなくみんな淡々として描かれている−
「当時は実感が無かったのだと思うのです。(すずさんの兄が死んでも)遺骨もかえって来ないし、亡くなったという書類一つ。広島で話を聞いた人の中に家族を原爆で失った人がいましたが、七十年目にようやく墓を建てたのだそうです。それでも七十一年目には『まだ信じていない。あきらめきれない』と」
−戦争を正面からは批判していません−
「僕らは戦後になって、戦争はやっぱりいけないとある種の正義で語れる。けれど当時の多くの人は、気持ちのやり場がないからこそ、「これがうちの戦いですけ」と、日常生活を続けることで日々を耐えていた。そうやっていつの間にか戦争に加担してしまっていたことに、玉音放送を聞いた直後、すずさんは恥ずかしかったんじゃないでしょうか」
「映画には戦争反対を声高に言える人は出てきません。反対しようがしまいが、人々の上に爆弾は落ちてくる。言葉で戦争反対を言わなくても、誰が見ても戦争はダメだというのは伝わると思っていました」
「戦争を題材にした作品は日常的に作られています。しかし戦争ってこんな感じだよね、という感じで大道具や衣装も作られているような気がします。そうやって記号化することは、戦争を自分たちとは縁の無い世界に押し込んでしまうことになる。あの時代を丁寧に描くことで、戦争イメージを自分たちに関係するものとして取り戻すことができるのではないでしょうか」
−監督は戦闘機に詳しく、空爆などでは自衛隊の基地音を録音もした−
「飛行機が好きなのですね。しかし日本の戦闘機は調べるうち、最後は体当たりを命じられた戦死者名簿を眺めるだけになる。それが嫌で今度は作った人のこと調べると、工場が爆撃を受け悲惨なことが起きていると分かる」
「呉にどんな軍艦がいたか詳しい友人に資料を見せてもらった時、勤労動員されていた女学生が防空壕で多数亡くなったことを入れてほしいと言われました。原作にないし描けませんでしたが、通勤する場面だけは入れました。リアルに調べていくと痛ましいことばかりです。それが戦争。勇ましいことや希望に満ちたことは一つもない」