(余録)成年式と呼ばれている… - 毎日新聞(2017年1月9日)

http://mainichi.jp/articles/20170109/ddm/001/070/104000c
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成年式と呼ばれている。埼玉県蕨(わらび)市の伝統だ。戦後間もない1946年秋、当時の蕨町が開催した成年式が成人式の先駆けといわれる。敗戦の虚脱感が広がる中、次代を担う若者を励まし、希望を持ってもらいたい。青年団長のそんな熱い思いで実現した。
この成年式は青年祭という催しの一環として行われた。当時の開催要項によると、戦地から帰ってこない人の消息について相談を受ける「復員相談室」が会場に開設された。足袋や風呂敷、げた、靴などの交換会や即売会も開かれた。国民が敗戦から立ち上がろうとする時代の空気を感じる。
社会が豊かになるにつれ、式も様変わりする。各地で荒れた成人式が問題になった。2000年ごろから行政のお仕着せではなく、若い市民に運営を任せる自治体が増えてきたのは時代の流れだろう。
きょうは成人の日。東日本大震災熊本地震の被災地でも成人式が行われる。甚大な被害を受けた岩手県大槌(おおつち)町では2年前、詩人の吉野弘(よしのひろし)さんの「生命(いのち)は」が朗読された。
「生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃(そろ)っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべを仲立ちする−−」。人に支えられ、また人を支えながら生きている。そう気づくことが大人になっていくことかもしれない。
逆境にあっても生きる希望を見つけてほしい。その願いは蕨市で成年式が始まったころと変わらない。吉野さんの詩はこう終わる。「私も あるとき 誰かのための虻(あぶ)だったろう あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない」