http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201612/CK2016121302000260.html
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夫婦別姓を認めない民法の規定を合憲とした昨年十二月の最高裁判決で、反対意見を述べ、ただ一人、国の賠償責任にまで踏み込んだ山浦善樹(よしき)・元最高裁判事(70)が七月、定年退官した。「憲法の精神は寛容のはず。どうすればみんなが幸せになるかを書いている。名字のことは夫婦で決めればいい。結論はおのずと出ました」。十六日で判決から一年となるのを前に取材に応じ、判断に込めた思いをそう語った。
山浦さんは判決で「別姓禁止は結婚の自由を制約し、違憲だ」との少数意見に賛同。個人の意見として「国会が正当な理由なく立法措置を怠ってきた」と付記し、原告らが受けた精神的苦痛に国家賠償請求を認めるべきだとした。退官後は弁護士として活動している。
憲法公布と同じ年に、長野県の山あいの町で生まれた。ボーボワールの「第二の性」を読んで衝撃を受けた大学時代。弁護士となってからは、離婚やドメスティックバイオレンスに悩む女性を目の当たりにした。背後に見えたのは社会に染みついた「家」の意識、男性中心主義…。その経験から、夫婦別姓訴訟を審理することに巡り合わせを感じたという。
審理中、頭に浮かんだのは婚姻の自由を歌った少年時代の流行歌「二十四条知ってるかい」だった。「何てったってお父さん 僕はあの娘が好きなんだ」「結婚てのは両性の合意によって決まるのさ」(歌詞より)。「親の世代とは違う。自分で好きな人を選んで結婚できる時代なんだ」と感じた。しかし、あれから半世紀たっても我慢を強いられる女性たちがいる。
大法廷で夫婦別姓の実現を訴える原告の女性たち。同じ思いで涙している人がどれだけいるだろうと胸が痛んだ。
山浦さんが大学卒業後に入った銀行を辞め、司法試験の勉強をしていた頃、薬剤師として家計を支えてくれた妻成子(しげこ)さんは今ボランティアとして子育て支援に奔走する。その妻が会合の招待状に「山浦令夫人」と記されることにも「付属品みたい」と違和感を覚えた。
一年前の判決の日。落胆する原告や弁護団に、法壇から声を掛けたくなる気持ちを抑え、心の中でつぶやいた。「闘いはまだ終わったわけじゃない。あなたたちは歴史の扉を開いた」。若い世代に伝わりやすいように言葉を選んで書いた意見が、多数派となる日が来ることを信じている。<夫婦別姓訴訟> 民法750条は、夫婦は結婚時に定めた夫または妻の姓を名乗ると規定。これが憲法24条のうたう「両性の平等」に反し、同姓の強制は人格権や結婚の自由の侵害だと原告が訴えた訴訟で、最高裁は昨年12月、「家族が一つの姓を名乗るのは合理的で日本社会に定着している」と合憲の初判断を示した。裁判官15人のうち5人は違憲と判断した。法務省によると、諸外国では夫婦が希望すれば結婚後もそれぞれの姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」などを認める法改正が進み、夫婦同姓を法律で定めている国は日本以外には見当たらない。