http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2016110402000213.html
http://megalodon.jp/2016-1104-1103-42/www.tokyo-np.co.jp/article/feature/himitsuhogo/iwaneba/list/CK2016110402000213.html
私の父、佐藤功(いさお)(故人)は憲法学者。戦争から復員後、政府の憲法問題調査委員会の補助員や内閣法制局参事官を務め、日本国憲法の制定作業を支えた。その父が一九五五年、子ども向けに書いた著書「憲法と君たち」が、憲法公布から七十年の今年復刊された。旧憲法下で戦争になったのと同じことが繰り返されるのではないかという、父の強い危機感が表れている。
五五年は、改憲を党是とする自民党が保守合同で生まれ、「憲法は連合国軍総司令部(GHQ)の押しつけ」といって懐古的な改憲を目指す動きが強まった時代。安倍政権が改憲へとひた走る、今の状況と重なる。父は「いずれこういう日がまた来る」と予期していたかのようだ。
私も二十五歳で児童文学作家として歩み始めて以来、平和を訴えてきた。初の作品は、ベトナム戦争の脱走兵と少女との交流を描いた物語。八〇年代ごろからは、いじめ問題を取り上げた。いじめは、憲法の根幹である多様性を認めない社会になっていることが根本的な原因。私の立ち位置は、そういうところにある。
他国を武力で守れるようにする安全保障関連法の審議・採決を強行する安倍政権に危機感を抱き、昨年、国会前デモや集会に親子で出向いた。孫が二人いるが、彼らが成長したとき、どんな日本になっているか。
著書で父が最も力を入れて訴えているのは「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」。憲法を守らなければならないはずの国会議員や大臣が憲法を破ろうとするとき、憲法を守るために投票へ行ってほしいということだ。
次の衆院選も改憲か護憲かが争点になる。若い人や子どもを持つ親、孫がいる大人は「憲法と君たち」を読んでほしい。そしてぜひ投票に行ってほしい。<さとうまきこ> 本名は水科牧子。1947年生まれ。憲法学者・故佐藤功氏の長女。デビュー作「絵にかくとへんな家」で73年、日本児童文学者協会新人賞。近著に、不登校をテーマにした「千の種のわたしへ−不思議な訪問者」など。
http://www.jiji.com/jc/v4?id=201611kpk700001
- 作者: 佐藤功,木村草太
- 出版社/メーカー: 時事通信社
- 発売日: 2016/10/15
- メディア: 単行本
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父の声をもう一度
1冊の古い本がある。『憲法と君たち』。版元は牧書店。1955(昭和30)年5月28日発行。定価180円。「学校図書館文庫」とあり、学校の図書館に置かれた叢書(そうしょ)の1冊だった。現在では国会図書館には保存されているが、入手困難な「幻の本」だ。
著者は憲法学者の佐藤功(1915−2006)。日本国憲法の制定に関与した「憲法の生みの親」の1人だ。60年前のこの本の中で、佐藤は子どもたちに憲法の原理と精神をやさしく、語りかけるように解説している。
憲法公布70年の今秋、この本が復刻出版された。『復刻新装版 憲法と君たち』(時事通信社刊)。気鋭の憲法学者、木村草太首都大学東京教授の詳しい解説が付いている。
佐藤の長女、児童文学作家のさとうまきこさん(68)にとって、復刊は悲願だった。本が書かれたのはさとうさんが8歳の時。「中学校の頃、この本を読みましたが、学校の授業よりもずっとおもしろいと感じました」
「この本が書かれた当時、テレビのある家は、まだ少なかったです。大相撲やプロ野球を見ようと、テレビの置かれた電器屋さんの前に、黒山の人だかりができたものです」「私達一家が住む東京の街にも、子どもが自由に遊べる原っぱや、雑木林がありました」「子どもも、おとなも明るい、より豊かな未来を信じて、生きていたような気がします」
子どもの頃から憲法記念日がとても楽しみだった。父はラジオや新聞に出て、誇らしかったし、お土産を買ってきてくれた。佐藤家ではこどもの日より、憲法記念日の方が大きな意味のある祝日だった。
憲法がまだ「新憲法」と呼ばれ、フレッシュに受け止められていたあの時代に書かれた父親の本を、なるべく元の形のままで今の世の中に出したいというのが、さとうさんの願いだった。
衆議院で与党が、参議院でも改憲に前向きな勢力が、それぞれ3分の2を超え、憲法改正が現実味を帯びてきた今、もう一度、憲法の原点を説き起こすこの本を子どもや大人に読んでほしい。その願いが結実した「復刻新装版」は写真も挿絵も当時のまま刊行された。
幼いさとうさんが父親のひざに乗っている古い写真が巻頭に出ている。
「父の明るい、希望に満ちた声が、現代の子どもからおとなまで、おおぜいの人の心に響きますように、と願っています」
「声をあげて読んでくれたまえ」
「君たちひとりびとりにお話をするつもりでこの本を書きました」。『憲法と君たち』の著者、佐藤功の語り口はやさしい。しかし、少年少女たちに真剣に向き合っている。
前半は歴史の読み物のようだ。マグナ・カルタ、アメリカの独立宣言、フランス革命、リンカーン…。平和主義、民主主義、人権尊重といった憲法の三つの理想が闘いの中で勝ち取られたことを説明している。
そして、「生みの親」は日本国憲法の成り立ちについて説く。
「この今の憲法が…日本が新しい国として生まれかわるために、新しい理想をはっきり定めようとしてつくられたものだということはわすれてはならない」
「もしもマッカーサー元帥が、こういう憲法をつくれということを命じなかったとしても、二どと戦争をくり返さず、国民の考えに反した政治がおこなわれず、また国民の自由がおさえつけられない、そういう新しい国として生まれかわるというために、今の憲法のような憲法がどうしてもつくられなければならなかったのだ」
基本的人権、民主主義についてはこれまで日本が世界から後れていて、日本国憲法で追い付いたと説明した後、佐藤の言葉には力がこもる。「だけど、平和だけはちがう。戦争放棄の点だけはちがう。それはほかの国ぐにはまだしていないことなのだ。それを日本がやろうというわけだ」第4章「憲法を守るということ」の記述は、予見的でもある。
「多数決というやり方も、絶対に正しいやり方だとはいえなくなる」。少数の意見の方が正しいこともある。多数党が、少数党の意見を聴かずに数で押し切るのは、形の上では議会政治だが昔の専制政治と同じだ、として「決をとるまでの議論」の大切さを説く。
「憲法を守らなければならないはずの国会や内閣が、かえって憲法をやぶろうとすることがある。事情がかわったということで、憲法がやぶられようとする場あいがある。また、へりくつをつけて、憲法がつくられたときとは別のように憲法が解釈され、むりやりにねじまげて憲法が動かされるということがあるわけだ」
では誰が憲法を守らせるのか。佐藤は巻末で60年前の子どもたちに「よかったら君たちも声をあげて読んでくれたまえ」と前置きして一つの言葉を残している。
「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」
戦場の憲法学者
佐藤功は、新たな憲法をつくる「憲法問題調査委員会」の補助員や内閣法制局参事官として憲法制定にかかわった。終戦直後の停電の中、短い、そして暗いろうそくの下でペーパーを書いた。「それにもかかわらず当時の私は、新しい憲法の精神や原則によって鼓舞され、そして非常にやりがいを感じた…」と後に記している。
『憲法と君たち』を書いた1955年は自由民主党が結成された年だ。
憲法公布の4年後の50年、朝鮮戦争が勃発。警察予備隊が発足した。52年には、憲法施行の年に発行された文部省中等科教材「あたらしい憲法のはなし」の発行が停止になった。
東西冷戦が厳しさを増し、改憲を求める声が強まっていた。日本国憲法は米国からの押し付けだから、自分たちの手で新しい憲法をつくろうという改憲論者。佐藤が、憲法の空洞化への強い危機感を持っていたことが推測される。
憲法にこだわり、子どもたちに平和主義の大切さを、力をこめて説いた背景には自らの戦争体験があったのかもしれない。東京帝国大学を卒業後、助手として大学に残るが、すぐに兵隊として徴収され、中国で約2年間を過ごした。
『圖嚢の中から』という冊子がある。41年、中国から帰国した佐藤が作成し、身内や戦友に配った戦地の手記。「圖嚢」は「図嚢(ずのう)」。軍人が腰にさげた小型のかばんだ。
内気で子どものような笑顔の戦友が重傷を負い、死んでいく話を詳しく書いている。「天皇陛下万歳」を叫んで病院で死ぬ兵士がいる中、戦友は苦痛と高熱のため錯乱して死んだ。軍人らしくはないが「弱さをそのまゝにして、彼らしい最期をとげたと言ふことを知って、却(かえ)つてあゝそれでよいのだ、と言ふ一つの安堵を覺えたと言ふことを告白せねばならない」
血に染まって倒れている敵兵。大事そうに腰に下げた鳥籠に一羽小鳥を入れて死んでいる。自分たちの陣中でもなぐさめに小鳥を飼うことを、この兵士は知っているだろうか…。悲惨な戦場でも佐藤は憲法学者としての精神を忘れない。こんな歌も残している。
たゝかひに行くわれなれど雑嚢に「法と國家」をひそめて持ちぬ終戦の4年前に印刷された冊子にはあからさまな反戦メッセージはないが、戦後の憲法の仕事に通じる思いがこもっている。