ハンセン病国賠訴訟15周年記念 県民集会に元患者ら150人参加:群馬 - 東京新聞(2016年10月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201610/CK2016101702000183.html
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ハンセン病国家賠償請求訴訟で原告の元患者たちが勝訴してから、今年で十五周年を迎えたのを記念する県民集会が十六日、草津町の国立療養所「栗生(くりう)楽泉園」で開かれた。元患者や支援者ら計約百五十人が参加し、勝訴後に亡くなった元患者十五人を追悼しながら差別への闘いを継承することを誓い合った。 (菅原洋)
ハンセン病は感染力や発病力が極めて弱いが、後遺症が残る場合があり、長く差別されてきた。国は一九〇〇年代から患者たちを強制隔離し、九六年に「らい予防法」が廃止されるまで続けた。
元患者たちは九八年、強制隔離など国の責任を問う訴訟を熊本地裁へ提訴。その後各地でも提訴され、二〇〇一年五月に熊本地裁は原告勝訴の判決を出した。判決文は「患者の隔離は継続的で極めて重大な人権の制限を強いるもの」などと認定した歴史的な内容だった。国は控訴を断念した。
一四年に八十二歳で亡くなった楽泉園の元患者、谺(こだま)雄二さんは全国原告団協議会の会長を務めた。
民集会は入所者自治会と、「群馬・ハンセン病訴訟を支援しともに生きる会」(前橋市)が主催した。
集会では、谺さんとともに訴訟を闘った元患者で、同協議会の竪山勲事務局長が鹿児島県から足を運び、「谺さんにもっと長生きしてもらい、自分たちの先頭に立って闘ってほしかった。自分もまだまだ頑張りたい」と惜しんだ。
ただ、竪山事務局長は「多くの元患者たちの遺骨が故郷へ戻れず、全国各地の療養所にある納骨堂に残されている現実がある。まだ『遺骨の隔離』が続いていることを、決して忘れてはならない。勝訴から十五年を経ても、いまだに差別や偏見からの解放には至っていない」と訴えた。
続いて、熊本訴訟の弁護団代表を務めた大分市の徳田靖之弁護士が記念講演。「谺さんは自分たちを勝訴へ導いてくれた。ハンセン病の問題に向き合うことで、人が生きること、人間の尊厳とはどういうことかを教えられた」と感慨を込めて振り返った。
その上で「訴訟の判決は、(強制隔離など)国が憲法違反したことを明確にしたのに意義がある。ただ、この訴訟では、まだ国に協力した地域社会の検証や責任が明確になってはいない」と指摘した。
最後に参加者は一人ずつ、谺さんを含む亡くなった元患者十五人の名前を掲げた祭壇に献花した。