幻の憲法改正原案 なぜ葬り去られたのか 〜シンポジウム「憲法論議におけるメディアの責務」から〜(楊井人文日本報道検証機構代表) - Y!ニュース(2016年8月28日)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160828-00060587/

幻となった憲政史上初の憲法改正原案
実は、これまでに憲法改正原案が国会に提出されたことが一度ある。民主党政権下の2012年4月27日、民主、自民など与野党7党、無所属あわせて10名の衆議院議員が「一院制」を実現するための憲法改正原案を衆議院に提出していたのだ(衛藤征士郎議員ホームページ、タイトル画像も同)。


法律上、憲法改正原案の提出・発議は、衆議院議員100名以上の賛成があればできる(国会法68条の2)。この改正案には、鳩山由紀夫元首相、海江田万里経産相原口一博総務相をはじめ、安倍晋三元首相、麻生太郎元首相ら、与野党を超えて大物議員が多数名を連ねて計120名が賛成(提出者を含めると130名)。発議(国会での審議)の要件を満たしていた(憲法改正原案)。


驚くべきことに、この憲法改正原案は、法律の要件を満たしていたにもかかわらず、「会派・政党の正式な機関承認を得ていない」という理由で、衆議院横路孝弘議長)に受理されなかった。調べてみると、「機関承認がない議案は受理しない」という衆議院独特の明文なき慣行が、この憲法改正原案にも適用されたようだ。この慣行(機関承認制度とも呼ばれる)は、長年にわたり議員立法を妨げる要因にもなってきた。
だが、メディアは「憲政史上初めて憲法改正原案が国会に提出された」という出来事をほとんど報じなかった。法律の要件を満たす議案が明文なき慣行によって葬り去られるという超法規的事態を、メディアは見て見ぬふりをした。だから、ジャーナリストも含めて国民の大半が知らないだろう。私自身つい最近、調べ物をしていて偶然知った。
仮にこの憲法改正原案が受理されても両院で3分の2の賛成を得て改正発議するには至らなかったかもしれない。だが問題は、法律の要件を満たす議案を国会(憲法審査会)で審議する機会が、「会派・政党の機関承認を得ていない」という理由だけで失われていたことであり、そうした事実が国民に知らされていなかったことだ。
超党派憲法論議を阻んでいるもう一つの要因は「党議拘束」だ。党所属議員は法案などの採決で党の方針に従って賛否を投じなければならないという、これも明文なき政党内規律である。党議拘束が解除された例は「臓器移植法案」の採決時(1997年4月)くらいしかない。党議拘束は、政党政治では当たり前のように思われるかもしれないが、イギリスを除き多くの国は採用していないという。これが憲法改正手続きにも適用されると、結局「3分の2」をめぐる政党間対決という構図で憲法改正審議が紛糾する(結末は強行採決ショー)だろう。
メディアは、「改憲勢力」をめぐる党派的攻防にばかりスポットライトを当ててよいのか。もっと「機関承認制度」や「党議拘束」といった民主主義の根幹にかかわる問題にも目を向けつつ、この国の民主主義、立憲主義を発展させるという見地に立った憲法報道を望みたい。