9条守れ「怒るべきとき」 父・城山三郎氏の遺志継ぐ大集会 - (2016年6月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016060302000126.html
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「戦争で得たものは憲法九条だけだ」−。二〇〇七年に亡くなった作家城山三郎さんが、よく口にした言葉だ。その城山さんが暮らした神奈川県茅ケ崎市で四日、「9条かながわ大集会2016in湘南ちがさき」が開かれる。実行委員長を務めるのは、城山さんの次女で「九条の会・ちがさき」の井上紀子さん(57)。「怒るべきときに怒らなければいけない、と父は言っていた。今、声を上げなければ」と語る。 (吉岡潤)
井上さんに言わせれば、「父は戦争の実態を伝えるために作家になった人」。十七歳で志願して海軍特別幹部練習生となり、十八歳の誕生日を迎える三日前に終戦を迎えた。経済小説の書き手として名をはせる一方、戦争を題材にした作品を残した。
ただ、井上さんが父の口から戦争の話を聞くようになったのは晩年だ。「つらすぎて口にできなかったんですね」
〇一年、城山さんは当時の小泉純一郎首相に会い、個人情報保護法案に異を唱えた。井上さんが当時を振り返る。「焦燥感に包まれていた。表現や報道の自由が奪われれば、戦争に突入していったあの時代と同じになる、大変なことになると」
〇六年六月、城山さんは「九条の会・ちがさき」の依頼に応え、メッセージを寄せた。戦争が長引いていたら相模湾で水中特攻「伏龍(ふくりゅう)」隊員として命果てていたはずだ−と。伏龍は、爆雷の付いた棒を持って海底に潜み敵船を突き上げて自爆する部隊だ。そして「平和憲法こそ生き残る者の夢であり、守ることが使命だ」とつづった。同年十一月には、市内の催しに参加した九条の会のテントにも足を運んだ。
「市民の活動を心強く思って共感していた」と井上さん。翌年三月に城山さんが亡くなると、「父の遺志を継ぎたい」と会に加わった。
昨年九月、強行採決を経て安全保障関連法が成立した。「何をやっているのかと父に怒られそうな気がする。諦めてはいけない」。四日の集会を「今の政治をおかしいと感じ、それを選挙の投票行動につなげる契機にしたい」と話す。

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9条かながわ大集会」は茅ケ崎市民文化会館などで開催。午前9時半から憲法自衛隊、教科書、原発などをテーマにした分科会。午後1時からの全体会ではルポライター鎌田慧さん、東京大大学院教授の小森陽一さんが講演。参加費1000円。問い合わせは、実行委の後藤仁敏(まさとし)さん=電090(7175)1911=へ。