苦しい戦争体験、未来に伝える 宗左近さんの生涯 市川で企画展:千葉 - 東京新聞(2016年5月15日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/list/201605/CK2016051502000155.html
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詩人、美術評論家市川市名誉市民の宗左近(そうさこん)さん(本名・古賀照一(てるいち)、一九一九〜二〇〇六年)の生涯をたどる企画展「詩人・宗左近展−わたしの罪と罰」が市川市文学ミュージアム(鬼高一)で開かれている。ついのすみかとなった市川で没後十年の節目を、ゆかりの資料約百点などでたどる。六月二十六日まで。 (服部利崇)
宗さんの創作の原点は、大切な人を見殺しにしたという戦争体験だ。一九四五年五月の東京大空襲で、炎に包まれた母を目にしながら「置き去りにした」(小説『炎の花』)。また徴兵忌避で自身は戦死を免れる一方、同じく戦争を認めない学友四人は戦死した。
学芸員の柳沢真美子さん(25)は「加害者意識に苦しみながら生きた。つらかった戦時中の思いを、未来の人たちに伝えていくことを使命とした」と語る。
企画展は二部からなる。一部の「わたしの罪と罰」は、文学・哲学との出会いから長編詩「炎(も)える母」に至るまでを紹介する。終戦の年の日記(複製)には「青い炎の母よ、ああ私の海の水底に」などの表現もある。柳沢さんは「『炎える母』の原型ともとれる表現」とみる。空襲から母と逃げ回った経路を示す地図もパネルにした。
二部「愛と祈り」は戦争への思い、縄文文化への傾倒、七八年から暮らした市川での活動を振り返る。柳沢さんは「死んだ母や学友への思いを、はるか昔に滅ぼされた縄文の人々との声と響き合わせた」とみる。
戦死した大切な人を語り継ぐ決意を記したとみられる詞「語部(かたりべ)」(詩集『お化け』所収)はパネルで紹介されている(詞は原文のママ)。
すでに語部はこの世にいない/だから物語がなくてはならぬ/はじめのはじめに殺戮(さつりく)があった/終りの終りに殺戮があるに違いない
宗さんが市川での生活の痕跡として、文房具やジャケット、ズボン、久留米絣(がすり)などの身の回り品も並べた。
教え子で晩年まで親交のあった編集者の戸矢晃一さん(55)は「『罪と罰』は宗さんにとって大きなテーマであり、詞や生き方の核心でもある」と語る。
休館日は毎月曜日と五月三十一日。一般三百円、六十五歳以上二百四十円、高大生百五十円、中学生以下無料。問い合わせは、同ミュージアム=電047(320)3334=へ。