(私説・論説室から)沖縄の清明祭に思う - 東京新聞(2016年5月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2016051102000149.html
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清明祭(シーミー)」。澄んだ語感にどんな行事かと胸をときめかせ、沖縄の伝統行事に参加した。中国から伝わる先祖供養の祭礼で、二十四節気で「春分」の次の「清明」にちなむ。旧暦三月の休日などに家族や親戚が一族の墓前に集い、ごちそうを食べる。
料理を供え、ご先祖があの世で使うとされる「ウチカビ(紙銭)」を燃やす。「ウートート」と敬いの言葉を唱えて合掌−。「一年生になりました」「赤ちゃんが生まれました」。みんなの近況報告をご先祖さまは喜んでいるだろう。「子どもの時は『今年の誓い』を立てさせられましたね。大人たちにはやし立てられたものです」。思い出が語られる。
そんな楽しい春も七十一年前は沖縄戦のただ中にあった。米軍の艦砲が撃ち込まれ、県民の四人に一人、十万人以上が犠牲になった。一族の清明祭に招いてくださった沖縄女性史研究者、宮城晴美さんの故郷は旧日本軍の海上特攻基地があった座間味島だ。「軍官民共生共死の一体化」という軍の指導の下、住民が肉親に手をかける集団自決も起きた。
砲弾の雨はもう降っていない。だけど生命力あふれる清明の頃は戦禍の記憶をも呼び覚ます。沖縄を殺りくにつながる基地の島にしたくない。その思いが名護市辺野古に象徴される米軍基地反対につながっている。子らの成長を見守るご先祖さまだってきっと同じ思いに違いない。 (佐藤直子