水俣病公式確認60年 「事件」はまた繰り返す - 東京新聞(2016年5月11日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016051102000148.html
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水俣病六十年。公式確認という言葉がそもそもあいまいだ。始まりも終わりも決めるのは当局なのだといいたげで。水俣事件は、まだ解決されていない。
父親はチッソの社員。不知火海有機水銀を流し続けた水俣病の加害企業である。
高校時代までを過ごした熊本県水俣市の社宅は海に近かった。
一家は毎日のように浜辺で貝を採り、行商人から魚を買って食べていた。
体に異変を感じるようになったのは、二十歳になったころだった。両肩から指先にかけて、強いしびれに襲われた。

◆ふるさとは心に秘めて
チッソや国や県に対して、健康被害への損害賠償を求める「ノーモア・ミナマタ」第二次訴訟の原告の一人、埼玉県在住の伊藤鈴子さん(70)は、長い間、誰にも相談できずに悩んでいた。
父親の転勤で東京に引っ越した。父親からは「水俣の“み”の字も口に出すな」と強くくぎを刺されていた。差別と偏見の恐怖にとらわれ、他界した夫にも、とうとう打ち明けられなかった。
子どもたちが家庭を持ち、無事に孫も生まれてようやく、自らを顧みる勇気がわいた。
検診を受けたのは六年前、「水俣病特有の症状」と診断された。
八つ年上の姉は重症だ。それでも「私は水俣病ではない」と、検査を拒み続けている。そんな姉のためにも真実を突き止めたい。伊藤さんは原告団に加わった。
水俣で起こったことは、事件です。事件として解決しようとしないから、誰も責任を取ろうとしない。だからまた繰り返す」
水俣の“語り部”、石牟礼道子さんの全集を刊行した藤原書店社長の藤原良雄さんは指摘する。

◆毒水は止められたのに
一九五六年五月、新日本窒素肥料(現チッソ水俣工場付属病院が、水俣湾周辺で多発する原因不明の中枢神経疾患を保健所に届け出た。これが「公式確認」だ。
熊本大学医学部は研究班を組織して、半年後にはすでに、“奇病”の正体が汚染魚の摂取による中毒症状だと結論づけた。そして、水俣工場の排水が汚染源ではないかと疑った。
折しも日本列島は、高度経済成長への助走にわいていた。
学界の主流は企業の擁護に回る。化学工業は高度成長の柱の一つ。チッソはその担い手だった。
公式確認から十二年間、水俣工場がアセトアルデヒドの製造をやめるまで、大量の有機水銀不知火海に流れ続けた。
生命よりも経済を優先し、止められるもの、止めなければならないものなのに、誰も止めなかったのだ。だから、それはただの「病」とは言い難い。人間の欲と不作為が引き起こし、拡大させた「事件」と呼ぶしかない。
時がたち、全国から新たな患者が次々名乗り出る中で、政府は幕引きに血道を上げる。
九五年の政治決着、二〇〇九年の特措法ともに、賠償の費用がかさむ「患者」とは認定せずに、「被害者」として一時金を支払うことで「救済」しようと試みた、紛れもない弥縫(びほう)策である。
水俣病の病象、つまり、その正体を明らかにしないまま、厳しい認定基準だけを課し、地域が望む健康調査も実施せず、被害を小さく見せるのに躍起である。潜在患者は数十万人ともいわれている。
水俣で起こったことが事件なら、患者はいない。被害者がいるだけだ。不知火海一帯の広域健康調査に基づいて隠れた被害を掘り起こし、あらゆる被害者が、等しく救済されるべきなのだ。それが、それだけが最終解決なのである。
「事件はまた繰り返す」。藤原さんの指摘が不気味に心に迫る。「福島原発事件」が二重写しになるからだ。
原発事故で故郷を追われた人々は「被災者」ではなく「被害者」だ。なのにいまだ、命より経済優先、原発は止められない。
放射線の影響や健康被害の実態をつまびらかにしないまま、補償の負担を軽減するためか、規制を緩め、避難者の帰還を急ぐ。

◆加害企業は生き延びる
福島の事故から二十日後、チッソは分社化された。液晶事業など営利部門を子会社に譲渡して、責任と生産を切り分けた。親会社であるチッソの方が“補償を終えて”清算される不安は残る。
責任を置き去りに、企業だけが姿を変えて生き延びるのか。
先月東京電力も、生き残るために分社化された。「チッソ方式」とも呼ばれている。
ふるさとを喪失させた国と東電の責任も結局は明らかにされないままに、風化が進んでいくのだろうか。福島事件の行く末が見えてくる。水俣事件に時効はない。