安保関連法施行 「無言館」からの警鐘 - 東京新聞(2016年3月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016032902000133.html
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集団的自衛権を行使できるようにする安全保障関連法が施行された。戦後貫いてきた専守防衛政策の変質だ。平和憲法の重みをいま一度思い起こしたい。
長野県上田市の南西部に広がる塩田平(しおだだいら)。その山裾に「無言館(むごんかん)」は立つ。昭和の時代、画家を目指しながら志半ばで戦火に散った画学生の作品を集め、展示する慰霊のための美術館だ。
コンクリート打ちっ放しの瀟洒(しょうしゃ)な建物。扉を開けると、戦没画学生の作品が目に飛び込む。館内を包む静寂。作品は何も語らず、圧倒的な存在感が、向き合う者を無言にさせる。故に「無言館」。
◆戦火に散った画学生
無言館は、館主の窪島誠一郎(くぼしませいいちろう)さん(74)が一九九七年、近くで経営する「信濃デッサン館」の分館として開館した。
きっかけは、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を繰り上げ卒業した後、旧満州中国東北部)に出征した経験を持つ洋画家の野見山暁治(のみやまぎょうじ)さんとの出会いだった。
「戦死した仲間たちの絵をこのまま見捨てておくわけにはゆかない」という野見山さんとともに戦没画学生の遺族を全国に訪ね、作品収集を続けた。
召集され入営する直前まで、また戦地に赴いても絵筆や鉛筆を握り続けた画学生たち。無言館に展示されている絵の大半は、妻や両親、兄弟姉妹らごく親しい人や、身近な山や川を描いたものだ。
死を覚悟しながらも、絵を描き続けたいという情熱。そのひた向きさ、家族への感謝や愛情の深さが、無言館を訪れる多くの人を無言にさせ、涙を誘う。
戦争さえなければ、彼らの中から日本を代表する芸術家が、何人も生まれたかもしれない。その好機を奪った戦争は嫌だ、平和は尊い。それが無言館のメッセージであることは確かだ。
平和憲法耕し、花咲く
窪島さんには無言館反戦・平和の象徴とされることへのためらいがあるという。「絵を描くという純粋な行為を、政治利用することはできない」と考えるからだ。その考えは今も変わらない。
しかし、安倍晋三首相の政権が成立を強行した特定秘密保護法と安保関連法をきっかけに、時代への危機感が募り始めたという。
防衛・外交などの「特定秘密」を漏らした公務員らを厳罰に処す特定秘密保護法は、国民の「知る権利」を脅かしかねない。真実を隠蔽(いんぺい)し、画学生たちをも戦地へと駆り立てた戦中の記憶と重なる。
そして、きょう施行日を迎えた安保関連法である。
軍民合わせて日本国民だけで三百十万人、アジア全域では二千万人以上に犠牲を強いた反省から、戦後、先人は憲法九条に戦争放棄と戦力不保持を書き込んだ。
その後、日米安全保障条約を結び、米軍の日本駐留を認める一方で、急迫不正の侵害を排除する必要最小限度の実力組織として自衛隊保有するには至った。
政府は、自らを守る個別的自衛権のみ行使する専守防衛に徹し、外国同士の戦争に加わる集団的自衛権の行使を禁じてきた。
歴代内閣が継承してきたこの憲法解釈を、一内閣の判断で変え、集団的自衛権の行使に道を開く安保関連法の成立を強行したのが安倍政権である。
自衛隊はきょうを境に「戦争できる」組織へと法的に変わった。
首相が視野に入れるのはそれだけではない。
自民党の党是は憲法改正。夏の参院選で他党を含めて「改憲派」で三分の二以上の議席を確保し、改正の発議を目指す。究極の狙いは九条改正による「国防軍」創設と集団的自衛権の行使を明文規定で認めることだ。
窪島さんには今、声を大にして言いたいことがあるという。
平和憲法を耕していた年月がある。先人は憲法を耕し、育てた。種をまいたのはマッカーサー連合国軍最高司令官)かもしれないが、耕し続けたのは日本人。無数の花が咲いている。そのことをもっと誇りに思うべきだ」
◆「厭戦」という遺伝子
画学生が生き、そして戦火に散った戦争の時代。その時代に近づくいかなる兆候も見逃してはならない。それが命を受け継ぎ、今を生きる私たちの責務だろう。
戦中、戦後の苦しい時代を生き抜いた窪島さんは、「厭戦(えんせん)」という遺伝子を持つという。地元長野で、特定秘密保護法や安保関連法の廃止を目指す市民団体の呼び掛け人にも名を連ね、五十年以上ぶりにデモにも参加した。
「日本は一センチでも戦争に近寄ってはいけない国だ。角を曲がって戦争の臭いがしたら、戻ってこなければいけない。このままほっておけば『無言館』がもう一つ増える時代がやってくる」。窪島さんが無言館から鳴らす警鐘である。