「電波停止」発言 放送はだれのものか - 東京新聞(2016年2月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016021602000137.html
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放送局に「電波停止」を命じる可能性に言及した高市早苗総務相の発言が波紋を広げている。政権の“脅し”とも受け取れるからだ。放送とは国民のものであるという原点に戻り考えるべきだろう。
問題の発言が飛び出したのは、八日の衆院予算委員会だった。「放送事業者が自律的に放送法を守ることが基本だ」としたうえで、高市氏は「放送事業者が極端なことをして、行政指導しても全く改善しない場合、何の対応もしないとは約束できない」と答えた。
放送局に電波停止命令を出す可能性について問われたときも「将来にわたり全くないとは言えない」と述べた。
確かに電波法七六条では、総務相は一定期間の電波停止命令ができると定めている。テロ参加を呼びかける放送など極端な場合だと高市氏は説明している。
だが、問題となっている放送法とは、同法四条のことだ。「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」などを規定している。
政治的公平性とは、立場によっていかなる解釈をもとることができる。ある人から見れば、公平であっても、意見の異なる人から見れば、偏向していると映る。およそ判定のつかない、極めて抽象的な概念である。
だから、この四条の規定は、放送事業者が自らの放送倫理、良心に基づいて自律的に守るべき倫理規定だというのが、一般的な考え方だ。そもそも放送法の目的は「放送による表現の自由を確保すること」にあるのだ。民主主義の基礎である。
戦前・戦中は政府の検閲があり、放送は自由ではなかった。逆に政府や軍部の宣伝機関として利用されてきた歴史がある。戦後の放送法制定時には、その反省に立って、「放送による表現の自由」をうたったのである。
もし、四条が倫理規定でなく、担当大臣が放送をチェックする根拠法ならば、放送内容が公平なのかどうかを権力側が判断することになってしまう。自由な放送どころか、権力側が放送局を縛る結果となるわけだ。
高市氏の発言が、放送局の現場を萎縮させないか心配だ。「電波停止」という、放送事業者にとって致命的な手段をちらつかせるのは、厳に慎むべきだ。国民に必要な十分な情報と知識を与えるためにも、放送局は毅然(きぜん)とした姿勢を保ち続けてほしい。