(筆洗)はや冬至である。いつもより暖かな師走で、 - 東京新聞(2015年12月22日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015122202000130.html
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はや冬至である。いつもより暖かな師走で、その魔術に混乱したわけではなかろうが、この年の瀬はあっという間に過ぎるような気がする。仕事柄か、ニュースが続くと一日が短く感じる傾向もある。確かに十一月のフランスでのテロ事件から大女優の原節子さんの死去まで大きな出来事が続いた。
<残る日の柚子湯(ゆずゆ)がわけばすぐ失(う)せぬ>水原秋桜子。その通りで柚子湯を立てる冬至が過ぎれば、さらに時間の経過は一層速くなる。大みそかまではあっという間である。
江戸の人は正月準備に今より早く着手した。十二月十三日は現在の大掃除の煤(すす)払い。その後も新年を迎える用意に忙しい。冬至の日に柚子湯に入るのは薬効以上に年の瀬の忙中に閑を用意する知恵だったかもしれない。
その柚の成長は遅い。「桃栗三年柿八年 柚(ゆず)の大馬鹿十八年」。以前、小欄で作家の壺井栄さんが記念碑に残した言葉を紹介したところ、読者の方から「大馬鹿」とは、柚が気の毒ですという気持ちの優しい手紙をいただいた。
桃栗三年は地域によって言い方が異なる。<柚は九年で花咲かす>というのもある。長い時間、辛抱して花を咲かせるという意味がこもる。それは個性であり、むしろ称(たた)えられるべき長所。決して「大馬鹿」ではない。
成長とスピードが崇(あが)められ、柚子湯さえ忘れがちな世間だが、この日ぐらいは湯船で柚を撫(な)でたい。