戦後70年 語り継ぐ(3)前橋空襲の記憶 10日早く戦争終われば:群馬 - 東京新聞(2015年8月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150805/CK2015080502000198.html
http://megalodon.jp/2015-0806-0950-34/www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150805/CK2015080502000198.html

終戦十日前の一九四五年八月五日夜。米軍の爆撃機B29の編隊が前橋の上空を襲った。三木彩音さん(11)=藤岡市立藤岡二小六年=は、祖母阿部光子さん(75)から聞いた空襲体験を作文に書いた。
阿部さんは当時、五歳。空襲警報が鳴った時、どこにいたか正確な記憶はない。だが、防空ずきんをかぶり、自分の母と二人で祖母の手を引いて逃げ惑ったことを鮮明に覚えている。飛行機が飛ぶ音が聞こえ、町の方から火の粉が落ちてきた。夜なのに昼間のように明るかった。翌朝、戻ってみると、祖母がうずくまっていた場所に爆弾が落ちていた。
近くの小学校には、空襲の犠牲になった人たちが集められ、足の踏み場もない状態だったという。阿部さんは、彩音さんがショックを受けないよう気を配りながらそんな現実も伝えた。
彩音さんは母幸代さん(49)の勧めもあって、阿部さんと前橋市の「あたご歴史資料館」で防空壕(ごう)も見学した。資料館には戦争当時の前橋の姿を写真で紹介するパネルのほか、焼夷(しょうい)弾の残骸や防空ずきんなどの貴重な資料が展示してある。
彩音さんは前橋空襲の被害についても調べ、「あと、十日早く戦争が終わっていれば前橋は空しゅうにあわなく、悲しいことにならなかったのに」と率直な感想を書いた。
阿部さんは「戦争で食べ物もなかった時代だったことも教えた。作文は戦争の記憶を孫に伝えるきっかけになった」と考えている。 (大沢令)