余録:この2月に亡くなった児童文学者で民話収集に… - 毎日新聞(2015年8月6日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20150806k0000m070139000c.html
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この2月に亡くなった児童文学者で民話収集に取り組んだ松谷(まつたに)みよ子さんが「現代民話考」(ちくま文庫)にまとめた広島・長崎の原爆にまつわる伝承の中には現実とも幻想ともつかぬ話がある。被爆地で帯を拾うおばあさんの話もその一つだ。
「帯はいいから逃げなさい」と促すと、おばあさんは怒ったように言った。「こりゃ、わしのはらわたでがんす」。背中に材木のささった男が平気な顔で他人を助けていたという話もある。焼け跡には鬼火が出たともいう。
爆心地に面した松林では羽を焼かれた無数のツバメやスズメがよちよちとはい回るなかで、多くの子どもが死んでいた。3〜4歳の子は片手にツバメを握って死んでいた。息絶える前にツバメを手に取ったのだろうか。その時子どもは何を考えながら世を去ったのか。
「スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ/パット剥(は)ギトッテシマッタ アトノセカイ」。広島で被爆した詩人、原民喜(はら・たみき)は記した。何十万の人々の普通の暮らしが巨大な火球で焼き払われたのである。そんな惨禍(さんか)そのものがこの世にあろうはずのことではなかった。
人類の未来を映す水晶玉に「広島・長崎」のありえない惨禍をのぞき見て戦慄(せんりつ)し、かろうじて核戦争を回避してきた戦後の世界だった。しかし見渡せば核大国間の軍縮はむしろ逆流の中にあり、歯止めのない核拡散や核テロの脅威までがとりざたされる70年後である。
「民話考」の不思議な話も、この世のものと思えぬ悲惨な体験から生まれたのだろう。世代と国境を超えて引き継がれていかねばならないのは生身の人の心と体で受け止めた核の「現実」である。