周防監督「裁判所はあなたを守ってくれない」「それでもボクは会議で闘う」に込めた思い - 東洋経済(2015年6月1日)

http://toyokeizai.net/articles/-/70867?page=3
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「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」──著者はかつて監督した映画の冒頭にこの法格言を掲げた。法制審議会特別部会の委員として「小さいけれど、確かな一歩」を踏み出すまでを描いた「記録本」に込めた真意とは。

それでもボクは会議で闘う――ドキュメント刑事司法改革

それでもボクは会議で闘う――ドキュメント刑事司法改革

──期待が裏切られた?

「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」という法格言を、国家権力はほとんど無視している。基本的に治安を維持するという面から行けば、10人の真犯人を逃すぐらいなら1人の無辜を罰したほうがいい、そのほうが社会は安定すると考えていることが、会議を通じてわかった。

裁判所は人権を守る「最後の砦」

忖度(そんたく)すれば、自分たちの仕事は日本の治安を守ることだという使命感がまずあるから、そう考えるのだろう。実際に現場の警察官が犯罪を摘発するときに、疑わしきは被告人の利益になどと考えながらではできないだろう。だからこそ検察庁や裁判所が機能しなければならない。特に裁判所は国の治安を守るところではなく、人権を守る「最後の砦」なのだということを自覚してほしい。

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──焦点は裁判所?

裁判所が変われば裁判は変わると思う。残念ながら僕は現状を大きく変えることはできない。ただ、多くの人に現状を知らせることはしたい。
裁判所や検察に対して、僕自身は「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」から出発してほしいと願っている。しかし、多くの日本人がそう考えるかどうかはわからない。「10人の真犯人を逃すな」という人が多いかもしれない。

だが、そう考えるとしても想像力を働かせてほしい。あなたもこの法格言と関係がないわけではないと。自分が真犯人でないのに捕まって、自分の権利が守られないという可能性はあるのだ。そのときにあなたはそれを受け入れられるのかどうか、考えてほしい。