「共謀罪」施行、無力な「法の番人」 元裁判官2人が警告 - 毎日新聞(2017年7月18日)

https://mainichi.jp/articles/20170718/dde/012/010/004000c
http://archive.is/2017.07.18-105728/https://mainichi.jp/articles/20170718/dde/012/010/004000c

「法の番人」は、その名に恥じない役割を果たすのか。11日施行された、犯罪を計画した段階で罰する「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法について、裁判所のチェック機能が注目されている。政府側は「裁判所による審査が機能するので、恣意(しい)的な運用はできない」と強調するが、元裁判官は「裁判所は、乱用の防波堤とはなり得ない」と言い切る。【庄司哲也】
「277もの犯罪が一気に対象となりましたが、本来であれば罪名ごとに慎重に審議すべきでした。でも、非常に大ざっぱな議論で成立してしまった」。こう批判するのは、東京高裁部総括判事などを務めた弁護士の木谷明さんだ。
共謀罪を巡り、野党は「捜査機関による乱用の恐れがある」と反発してきた。これに対し、政府は、共謀罪という表現を嫌い、「テロ等準備罪」であると主張。適用対象を「組織的犯罪集団」と規定していることに加え、捜査機関が家宅捜索などの強制捜査を行う場合、裁判所の審査を受け、令状を取る必要があるのでチェック機能が働くと一貫して反論してきた。
この対論についての木谷さんの「審判」は明快だった。「政府の答弁はうそです」
その理由を「裁判所の審査」の状況を交えてこう説明する。「多くの市民は、捜査当局が請求した令状を裁判官が厳格にチェックしてくれることを期待していると思います。でも現実は、警察や検察の捜査にお墨付きを与えている側面は否定できません。捜索差し押さえ令状、逮捕状は捜査当局が提出する資料によって判断するので、当局の言い分を採用することになりやすいのです」
共謀罪の捜査では、裁判官の心理も影響すると見ている。「共謀罪では、捜査当局は重大な犯罪が起こりそうだと主張して令状を請求します。それを審査する裁判官が逮捕や家宅捜索などの必要性がないと思っても『もし、実行されて重大な犯罪が起きてしまったら』という考えがよぎってしまう。その結果、令状の却下によって世論の非難を浴びるよりは、令状を出した方が無難だとの考えに傾くのではないでしょうか」
刑事・少年法に詳しい元仙台高裁秋田支部長で弁護士の守屋克彦さんも、裁判官の令状審査は期待できないと考える一人だ。刑事訴訟法では、裁判官が逮捕状請求を却下できるのは「明らかに逮捕の必要がないと認めるとき」と、裁判官にハードルを設けているからだ。それは数字上も明らかで、最高裁の統計によると、2015年度の逮捕状発付は10万880件。これに対し、却下されたのはわずか62件に過ぎない。
守屋さんは、日本の刑事司法のシステムと共謀罪の整合性にも疑問を持つ。日本では捜査は実際に起きた犯罪について行われるのが原則で、将来起きるかもしれない犯罪を予測する捜査はタブーとされてきたからだ。守屋さんは「共謀罪の創設は、通信傍受やその他の手段での情報収集を予定しているとみられ、起きている犯罪より、起こるかもしれない犯罪を想定しています。それは広範に市民のプライバシーに介入する手段を可能にします。犯罪の予防という行政の作用と、犯罪に対して適正な手続きによる裁判という司法の作用の区別をあいまいにしてしまいます」と解説する。
共謀罪」法の施行で、冤罪(えんざい)を生みやすい社会になってしまうことも、守屋さんは危惧している。共謀という心の動きを立証するため、捜査は自白に頼りがちになる側面があるからだ。殺人や窃盗などの実行犯ならば、令状を請求された際に裁判官に客観的証拠も示されるが、共謀罪の捜査では関係者の供述が中心になる。「昨年の改正刑事訴訟法で司法取引が導入されました。他人の罪を告発しても自分は、処罰を免れるという仕組みができつつあります。このままでは、密告が横行する監視社会になっていくのではないでしょうか」。元裁判官が見据えるこの国の未来は暗い。
80歳を超える守屋さんは、戦後日本の司法の成り立ちや変遷を目にしてきた。「私が裁判官になった当時、裁判所の中枢には、旧満州国(現中国東北部)の治安維持法の適用に関与したような人がいました。戦後の司法は、戦前の司法官僚の制度をそのまま引きずったのです」と法曹界の歴史を振り返る。
その流れは、自身の裁判官人生にも苦い思い出を残した。守屋さんは、憲法や民主主義の擁護を掲げて1954年に設立された若手法律家の団体「青年法律家協会(青法協)」に加わった。そこに所属していた仲間の裁判官の再任拒否や脱会勧告に応じない場合の不利益な待遇などを体験することになった。青法協が、政府や最高裁から左派色の強い政治団体として警戒されたからだ。「青年」の名称にちなんで「ブルーパージ」と呼ばれた“弾圧”。護憲が左派と見なされ攻撃された。
有罪判決になる確率が99・9%と言われる日本の刑事裁判で、木谷さんは現役時代、30件以上の無罪判決を書き、その全てを確定させた。「控訴された1件も棄却されました。捜査側の意見に逆らった判決を書くのは決断や労力が必要で、苦労も多いが、権力をチェックすることにこそ裁判官としての生きがいがあるはず。でも、そうした苦労をせずに『事なかれ主義』に陥ってしまい、検察官の指摘することをそのままなぞった判決を書く裁判官がいることは残念なことです」と語る。
木谷さんによると、このような裁判官の体質は最高裁による人事行政と無関係ではないという。「裁判官の独立は憲法にうたわれていますが、実際は権力にたてつくと異動などの面で不利益を受けることがある」と明かす。そして、当局に左派とにらまれ、裁判所支部巡りをさせられた裁判官の心情を表した、読み人知らずの歌を教えてくれた。「渋々と支部から支部支部めぐり 四分の虫にも五分の魂」
裁判所の体質は権力寄りになりやすい−−。木谷さんの認識は「共謀罪」法が施行された現代社会への警告につながる。
テロ事件が世界各地で続発している。テロの危険を排除したいという世論が高まっているのも事実だ。そして、安倍晋三首相は「テロ等準備罪がなければ東京五輪を開けないと言っても過言ではない」とまで言い切り、共謀罪を強引な国会運営で成立させた。国民は、元裁判官が「裁判所であっても権力や世情に抗しきれない」とのメッセージを発したことを忘れてはならないのではないか。

■人物略歴

もりや・かつひこ
1934年宮城県生まれ。東北大卒。61年、宇都宮地家裁判事補。99年に退官後、東北学院法科大学院教授などを務める。現在はNPO法人「刑事・少年司法研究センター」理事長。

■人物略歴

きたに・あきら
1937年神奈川県生まれ。東大卒。63年、東京地裁判事補。水戸地裁所長などを経て2000年に退官。公証人や法政大大学院教授を務めた。