国立大への国旗掲揚・国歌斉唱要請、撤回求め教授ら声明 - 朝日新聞(2015年4月28日)

http://www.asahi.com/articles/ASH4X5V9FH4XUTIL03T.html
http://megalodon.jp/2015-0511-0958-27/www.asahi.com/articles/ASH4X5V9FH4XUTIL03T.html

文部科学省が国立大学に対し、入学式や卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を行うよう要請する方針を示したことは「学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない」として、国立大や私立大の教授や作家ら21人が呼びかけ人となり「学問の自由を考える会」を結成した。28日に国会内で記者会見し、文科省に要請の撤回を求める声明を発表した。

「考える会」は声明で「国立大学法人が運営費交付金に依存する以上、『要請』が圧力となることは明白」「国旗国歌の強制は知の自律性を否定し、大学の役割を損なう」と主張。代表の広田照幸・日本大教授は「式自体が教育の機会と位置づけられる中、要請は今後、具体的な教育研究の中身に政府が口を出す突破口になりかねない」と話した。今後はネット上で賛同者を集め、夏にもシンポジウムを開く予定という。(編集委員・北野隆一)

国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する声明
http://academicfreedomjp.wix.com/afjp

 本年4月9日の参議院予算委員会における安倍晋三首相の答弁を機に、文部科学省は国立大学に対して、入学式、卒業式において国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう要請するとされている。これは、日本における学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない大きな政策転換であり、看過できない。
 そもそも大学は、ヨーロッパにおけるその発祥以来、民族や地域の違いを超えて、人類の普遍的な知識を追究する場として位置付けられてきた。それぞれの国民国家の独自性は尊重されるが、排他的な民族意識につながらないよう慎重さが求められる。現在、日本の大学は世界に開かれたグローバルな大学へと改革を進めているが、政府主導の今回の動きが、そうした方向性に逆行することがあってはならない。
日本近代史を振り返れば、滝川事件、天皇機関説事件、矢内原事件など、大学における研究や学者の言論が、その時代の国家権力や社会の主流派と対立し、抑圧された例は枚挙にいとまがない。その後の歴史は、それらの研究・言論が普遍的な価値にもとづくものであったことを示している。大学が国家権力から距離を置き、独立を保つことは、学問が進展・開花する必要条件である。文部科学省は今回のはたらきかけは要請にすぎないと説明しているが、国立大学法人が運営費交付金に依存する以上、「要請」が圧力となることは明白である。
 たしかに教育基本法第二条は、教育目標の一つとして、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う」ことを掲げる。しかし、伝統と文化とは何かを考究すること自体、大学人の使命の一つであり、既存の伝統の問い直しが新しい伝統を生み、時の権力への抵抗が国家の暴走や国策の誤りを食い止めることも多い。教育基本法第七条が「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない」とするゆえんである。政府の権力、権威に基づいて国旗国歌を強制することは、知の自律性を否定し、大学の役割を根底から損なうことにつながる。
 以上の理由から、我々は、大学に対する国旗国歌に関する要請を撤回するよう、文部科学省に求める。


2015年4月28日

学問の自由を考える