佐世保に押しつけ「黙りたくない」  平和と軍需と長崎の70年-東京新聞(2015年4月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015041602000135.html
http://megalodon.jp/2015-0416-0922-42/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015041602000135.html

九二年、「アジア重視」を理由に二隻の揚陸艦が配備された。バーで知り合った米軍の下士官は「米国内の基地が閉鎖になったから」と話し、別の米兵は一隻を「おばけがでそうな老朽艦」と言った。
「冷戦後の基地縮小で置き場のなくなったものを押しつけられている」。米国防総省に情報公開請求したりするうちに、疑惑は確信に変わった。
元市長の辻一三(いちぞう)(故人)の著作には原子力潜水艦入港時の有力者の発言が記されている。<佐世保は(中央から遠い)足の裏。汚れるなら顔より足の方がいい>
数万人が反対集会に集まったエンタープライズ入港から約半世紀。基地に反対する人々は今も月一回、中心部の四ケ町商店街を「平和のために」とかかれた横断幕を掲げて無言で歩く。宮野和徳(70)は妻由美子(67)を含め、たった三人で歩いたこともある。「時にはばからしいとも思うけど、黙りたくない」
二〇〇二年から年一回、同じ通りで地元の自衛隊が創立記念パレードをするようになった。米軍や自衛隊の協力を得てさまざまなイベントを仕掛ける四ケ町商店街は今「日本一元気」と注目を浴びる。商店街協同組合の理事長、竹本慶三(65)は胸を張る。「われわれは基地の街として自信を持っている」 =文中敬称略
 (「戦後の地層」取材班)