週のはじめに考える 自衛隊は軍隊でよいのか-東京新聞(2015年3月1日)

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自衛隊のあり方を変える安全保障法制をめぐる与党協議が始まりました。昨年の閣議決定さえ拡大解釈され、もはや憲法の「歯止め」は風前の灯火(ともしび)です。

自衛隊は戦争する軍隊になりますよ」。安倍晋三首相のブレーンで、昨年亡くなった岡崎久彦元駐タイ大使は昨年五月の民放テレビ番組でこう断言しました。女性キャスターが「もし総理が決断したら、自衛官が血を流す可能性があると…」と聞いたところで、岡崎氏は「そうです、その通りです」と即答し、「自衛隊は戦争する…」と続けたのです。
閣議無視の与党協議
率直な物言いをする岡崎氏がメンバーだった首相の私的懇談会が集団的自衛権の行使や多国籍軍への参加について「踏み切るべきだ」との報告書を出した数日後の番組でした。

報告書を受けて、自民党公明党による与党協議が行われ、七月の閣議決定を迎えたのです。閣議決定憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を認めただけではありません。武力行使のハードルを全体に下げるという問題の多い内容です。

その中のひとつに自衛隊が米軍を守ることがあります。先月再開された与党協議は、共同訓練中などの米艦艇の防護は当然のこととして議論され、オーストラリア軍の防護まで検討されました。

ちょっと待ってほしい。閣議決定は「米軍の防護」に限定しています。米国との間では日米安全保障条約があり、共同訓練は日本防衛につながります。日豪間にそのような取り決めはなく、オーストラリア軍の艦艇は日本を防衛するために訓練に参加しているのではありません。与党協議は閣議決定を踏み越えているのです。あらためて閣議決定を読んでみます。
◆過去の憲法解釈逸脱
米軍を守るためには、自衛隊法九五条「武器等の防護のための武器の使用」の考え方を参考にするとしています。九五条の武器防護は「人命を防護するための自然的権利に匹敵する」(政府見解)とされ、自衛官に武器使用の判断を委ねる規定でもあります。

自衛隊が米軍を守るために武器使用すれば、集団的自衛権の行使とみなされる可能性があります。米軍を攻撃した相手からみれば、自衛隊は敵でしょう。現場の判断で踏み切る「米軍の防護」が重大な結果を招きかねないのです。

米軍は自衛隊を守ってくれるのでしょうか。米陸軍発行の「運用法ハンドブック2014」には「唯一大統領または国防長官だけが集団的自衛権の行使を認めることができる」とあり、米軍であっても現場の判断だけで自衛隊を守ることはできません。

他国の軍隊を守るために攻撃すれば、戦争に巻き込まれるおそれが高まるのですから当然のことです。一方、閣議決定自衛隊が米軍を守ったその先に何があるのか触れておらず、不安になります。

閣議決定は野党から撤回を求める声が出るほどの内容にもかかわらず、与党協議は、これさえ無視してずんずん進みます。「武力行使との一体化」にあたるとして、これまで政府が認めなかった他国軍への武器・弾薬の提供や発進準備中の航空機への給油・整備まで検討されています。

閣議決定は「『武力行使との一体化』論それ自体は前提」と明記しているので、ここからはみ出す与党協議は話になりません。憲法の制約からも逸脱しています。

昨年九月、江渡聡徳防衛相(当時)は、中東のホルムズ海峡の機雷除去について、自衛権行使の新三要件にあたれば集団安全保障、すなわち多国籍軍への参加であっても自衛隊は活動できるとの見解を示しました。閣議決定多国籍軍への参加に触れていないにもかかわらず、です。

憲法解釈を一方的に変更した問題のある閣議決定を飛び越え、これまで政府が憲法違反との見解を示してきた自衛隊の活動を解禁する。この国会で策定を目指す安全保障法制で裏付ければ、もはや憲法九条は何も禁止していないのと同じことになります。

そうだったのか。岡崎氏が言った「自衛隊は戦争する軍隊になりますよ」とはこのことか。「憲法改正するべきでは」との女性キャスターの問いに「憲法改正ができるならもうとっくに変えていますよ」とも言っていました。
◆きな臭い戦後70年
解釈の変更によって憲法をなし崩しにすれば、憲法改正への国民の抵抗感は薄れるかもしれない、安倍政権はそう計算しているのでしょうか。

戦後七十年の節目の今年が戦後で一番きな臭くなっている。無理に無理を重ねて、国民に決断を迫るようなやり方が認められてよいはずがありません。