色川大吉時評論集 新世紀なれど光は見えず

著者:色川大吉
定価:本体2800円+税
ISBN:978-4-8188-2356-3
判型:四六判
頁:260頁
刊行:2014年11月
出版社:日本経済評論社

http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2356

内容紹介
同時多発テロと3.11大震災で明けた21世紀、シリア、イラクなどの争乱はおさまらず。大戦後70年をまえに平和国家日本では秘密保護法、集団的自衛権を公認するなどキナ臭い動きがあらわれた。戦中体験のある歴史家として黙ってはいられない。日々に放った時評や、私の時代批判を聞いてほしい。

戦前の東大での国史学科の授業風景、小生、学生時代の色川大吉ゼミでこの逸話を聞いた記憶が蘇る。
内容を書き出してみます。

(p 200)大学教師の無責任

『わだつみの友へ』という本を書いた時に思い出すのは、そのころの大学の教師たちの無責任ということがありますね。わたしたち文学部国史学科の主任教授は有名な人で、平泉澄という人だった。この先生のゼミを落としたら卒業できないから、みんな取るわけです。わたしも出ていました。
 一九四三(昭和一八)年のことです。出陣学徒壮行会が行われた数日前に、東大文学部の三七番教室という階段教室の授業に、平泉先生はどういうわけか、日本刀を持ってきた。いったい何をするかと思っていたら、その刀を抜きはなち、「国を想ひ眠られぬ夜の霧の色、ともしび寄せて見る剣かな」と佐久間東雄(あずまお)の歌を誦し、「お別れです、永遠にお別れです」と言って出て行った。東大の主任教授がです。なにこの人はと思いました。さすがにそのとき学生には、拍手をするとか呼応した人は一人もいなかった。シーンとしてみんな白けてしまって、こそこそと教室から出て行ってしまった。今から考えると平泉先生の信念からして、あの行動はよくわかるし、それに白けて静かに出て行った学生の心情もわかりますね。こういう開きというのは、リベラリズムをどうくぐってきたか否かによるのです。

そのリベラリズムについては、p 197に「リベラルだった旧制高校」とあり、以下のような記述。

わたしは、太平洋戦争が始まる前、一九四一(昭和一六)年四月に、仙台にある旧制の第二高等学校にはいりました。旧制の高等学校というのは国立で、帝国大学予科みたいなもので、入るのが非常に難しくて、競争率も激しく、わたしの時は七倍くらいありました。
第二高等学校に入学してびっくりしたのは、平気で戦争を批判しますし、カール・マルクスの本なども天井板の裏に隠して夜読んでいる先輩がいた。リベラリズムの伝統があり、軍国主義を鼻で笑うような学生もおりました。それが昭和一六年春です。その年の暮、十二月八日にアメリカと戦争を始めたのです。

そこで、帝大国史学科の主任教授平泉澄氏についてのエピソード。

http://bokukoui.exblog.jp/19767190/

以前から様々に語り伝えられてきているとのことですが、おそらくもっとも有名なのは、門下の学生だった中村吉治が平泉に「百姓の歴史をやりたい」と言ったら、「百姓に歴史がありますか。豚に歴史がありますか」と言われた。

東京大学史紀要』第6号から、東大百年史編集室員だった照沼康孝氏の回想も引用紹介されているとのこと。

これらによると、平泉澄が「大和魂とは、これです」と日本刀を抜いて見せた、というのは、戦前に陸軍士官学校で講演した際にやったことの、いわば再現を見せた、

……「83歳の老人が、遠くからわざわざ昔話を聞きに来てくれた、自分の孫ぐらいの年配の後輩たちに向かって、思い出の日本刀を抜き出して見せて自慢した」というのは、なんとか笑い話で済ませてもよさそうだが、「39歳で博士号を持つ東京帝国大学助教授が、陸軍士官候補生たちの前で、抜き身の日本刀を構えて『陸軍よ、この刀のごとくにあれ』と大見栄を切ってのけた」というのは、さすがに笑えない。