(筆洗)激動の時代を歴史の証人として生き、百歳で逝去された。 - 東京新聞(2016年10月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016102802000136.html
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「近代日本の黎明(れいめい)期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、感銘を覚えた」。皇后美智子さまが、そう評されたのは、自由民権運動の熱い熱の中で生まれた私擬憲法案「五日市憲法草案」である。
この画期的な文書を一九六八年に見つけた歴史学者色川大吉さんはある時、「三多摩自由民権運動展」を開催したが、地元の役所もマスコミも冷淡で、さっぱり来場者が来ない。困って、旧知の著名な歴史学者に助けを求めた。
翌日、その方は来場し、興味深く見ると、大声で「こんな自由民権の時代にも権力の弾圧があったのですか」と言い、会場にいた記者らを驚かせた。この歴史学者こそ、三笠宮崇仁さま。おかげでイベントは大盛況になったそうだ(『色川大吉歴史論集 近代の光と闇』)
戦時中、軍務で中国に赴いた三笠宮さまは、そこで「正義の戦争」とかけ離れた醜い現実に衝撃を受けた。その経験から戦後、「社会正義」の歴史的源流を求め、古代オリエント史を研究し始めたという。
皇族として福祉など社会事業に専念すべきではないかとも悩んだが、自問の末に、歴史を学び続けることは「未来の義務を考えること」と意を決したそうだ。
激動の時代を歴史の証人として生き、百歳で逝去された。その一生そのものが、未来への熱い願いがこめられた歴史書にもみえる。