米倉斉加年さん死去 重厚な演技、絵本作家 80歳-東京新聞(2014年8月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082702000237.html
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米倉さんは平和への思いが強く、舞台や絵本を通してメッセージを発信してきた。東京の「世田谷・九条の会」の呼び掛け人の一人でもあり、会のホームページには「平和とは人間が生きること。戦争は人を殺す。生きるために九条をまもります」と記していた。

戦時中に弟を栄養失調で失った。この経験を基にした絵本「おとなになれなかった弟たちに…」は、中学一年の国語教科書(光村図書)に採用されている。

おとなになれなかった弟たちに…

おとなになれなかった弟たちに…

二〇〇三年には本紙のコーナー「自著を語る」で、弟の死や、イラク戦争などで多くの子どもたちが犠牲になったことに触れ、「人間はなにかをなすべきだとは思わない。りっぱな人間にならなければならないとも思わない。大切なことは普通に生きることなのだ」とつづった。

同年二月にも作家小林多喜二をテーマにした舞台を控え、本紙への寄稿で「湾岸戦争、アフガン戦争。そして、ここのところのイラク問題。アメリカに加担している日本に、戦前の多喜二の死の時代が重なってくる」と懸念した。

舞台などではひょうひょうとした中に一本筋の通った芯の強さを感じさせる俳優だった。海流座では自身のやりたい演目を地道に各地で上演してきた。

一二年夏には、フランス喜劇の王様・モリエールの作品「タルチュフ」に初挑戦。「風刺性の強い(モリエールの)喜劇をゼロからやるのもいい」と意欲的だった。「権力者を風刺して笑い飛ばす精神は大切だと思う」とも。

劇団民芸の先輩だった故宇野重吉さんに言われた「役者が舞台に立つということは、社会的責任を持つということ」が、生涯の指針となっていたという。

存在感のある俳優だったが、大物ぶるそぶりは一切なく、取材が終わると、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた謙虚さが印象的だった。