実教「日本史」来年度も都立高ゼロ 教育内容へ介入懸念-東京新聞(2014年8月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082802000254.html
http://megalodon.jp/2014-0828-1545-15/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082802000254.html

◆自主規制拡大の恐れ

「教育内容への不当な介入だ」「出版の自由を侵す恐れがある」−。東京都教育委員会の見解がまかり通る形で、国旗掲揚、国歌斉唱に関する「強制の動き」に言及した実教出版の日本史教科書を選んだ都立学校は今年もなかった。教育現場や出版業界からは、教科書使用に対する自粛の拡大を危ぶむ声が出ている。

都立高で長年日本史を教えてきた男性(65)は「都教委の見解が、教員に『実教出版の教科書を選ぶのは無理』と思わせたのではないか」と推測する。さらに「この問題がエスカレートすれば、教科書の記述への批判を避けるため、出版社が内容を自主的に変える動きにもつながりはしまいか」とも懸念した。

都高校教職員組合は七月、都教委に対し「具体的な教科書名をあげて、各学校で選定しないことを事実上強要している」と抗議した。藤野正和・執行委員長は「そもそも国の検定に通った教科書を使うなと言うのはおかしい。いずれ解釈や考え方に対する介入にとどまらず、史実をねじ曲げる事態にもつながりかねない」と指摘する。

日本出版労働組合連合会の吉田典裕・副中央執行委員長は「実教出版はいわば見せしめにされただけではないか。これをきっかけに、戦時中の周辺諸国への加害責任に関する記述に関しても、出版社に萎縮が広がる可能性がある」とみている。

参考)

実教出版の教科書、都教委「不適切」 日本史の記述で-朝日新聞(2014年6月12日)
http://www.asahi.com/articles/ASG6D4DGPG6DUTIL01S.html
http://megalodon.jp/2014-0828-1547-58/www.asahi.com/articles/ASG6D4DGPG6DUTIL01S.html

「校長指示で選定覆る」 実教教科書 広がる自主規制-東京新聞(2014年8月19日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20140819#p3


実教出版の教科書採択問題> 同社ホームページによると、教員経験者や歴史研究家らが「国際社会で通用する歴史認識を育てるため、東アジア、とりわけ朝鮮・中国との関わりを重視」して執筆。国旗掲揚や国歌斉唱について「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」との記述がある。文部科学省教科書検定を通っており、同省担当者はこの記述について「誤りとは言えない」とした上で、どの教科書を使うかは「県教委の判断」としている。昨年の教科書採択で、実教版を採択した埼玉県では県教育委員長が辞任。大阪府では、実教版希望校が、教委の資料集を活用することや指導を受けることを条件に採択した。

米倉斉加年さん死去 重厚な演技、絵本作家 80歳-東京新聞(2014年8月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082702000237.html
http://megalodon.jp/2014-0828-0936-44/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014082702000237.html

米倉さんは平和への思いが強く、舞台や絵本を通してメッセージを発信してきた。東京の「世田谷・九条の会」の呼び掛け人の一人でもあり、会のホームページには「平和とは人間が生きること。戦争は人を殺す。生きるために九条をまもります」と記していた。

戦時中に弟を栄養失調で失った。この経験を基にした絵本「おとなになれなかった弟たちに…」は、中学一年の国語教科書(光村図書)に採用されている。

おとなになれなかった弟たちに…

おとなになれなかった弟たちに…

二〇〇三年には本紙のコーナー「自著を語る」で、弟の死や、イラク戦争などで多くの子どもたちが犠牲になったことに触れ、「人間はなにかをなすべきだとは思わない。りっぱな人間にならなければならないとも思わない。大切なことは普通に生きることなのだ」とつづった。

同年二月にも作家小林多喜二をテーマにした舞台を控え、本紙への寄稿で「湾岸戦争、アフガン戦争。そして、ここのところのイラク問題。アメリカに加担している日本に、戦前の多喜二の死の時代が重なってくる」と懸念した。

舞台などではひょうひょうとした中に一本筋の通った芯の強さを感じさせる俳優だった。海流座では自身のやりたい演目を地道に各地で上演してきた。

一二年夏には、フランス喜劇の王様・モリエールの作品「タルチュフ」に初挑戦。「風刺性の強い(モリエールの)喜劇をゼロからやるのもいい」と意欲的だった。「権力者を風刺して笑い飛ばす精神は大切だと思う」とも。

劇団民芸の先輩だった故宇野重吉さんに言われた「役者が舞台に立つということは、社会的責任を持つということ」が、生涯の指針となっていたという。

存在感のある俳優だったが、大物ぶるそぶりは一切なく、取材が終わると、「ありがとうございました」と深々と頭を下げた謙虚さが印象的だった。