【政界地獄耳】日本近代史に大きく影響を与えた「虎ノ門事件」の余波 - 日刊スポーツ(2022年7月30日)

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虎ノ門事件をご存じだろうか。1923年(大12)、関東大震災直後の東京での事件だが、憲法も価値観も違う時代の事件ではあるが改めてひもといてみたい。同年12月27日、当時22歳の皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政として第48通常議会の開院式に出席するため、貴族院へ向かうため御料車(自動車)で向かう。途中、虎ノ門の群衆の中から難波大助が飛び出し、ステッキ仕込み式の散弾銃で狙撃した。銃弾は皇太子にはあたらず、同乗の東宮侍従長・入江為守が軽傷を負った。自動車はそのまま貴族院に到着、その後は全て予定通りの日程が消化された。

★同日夜、首相・山本権兵衛、内相・後藤新平、司法相・平沼騏一郎以下全閣僚は辞表を提出。皇太子は慰留するが、1月7日、内閣総辞職となる。また当日の警護責任者である警視総監・湯浅倉平と警視庁警務部長・正力松太郎(のちの読売新聞社主)が懲戒免官になった。難波の出身地であった山口県の知事に対して2カ月間の2割減俸、途中難波が立ち寄ったとされる京都府の知事は譴責処分に。難波の父も山口8区の衆院議員だったが辞職。断食の末に25年5月に餓死している。難波の選挙区はその後、松岡洋右が引き継ぐこととなり、さらに戦後は岸信介佐藤栄作安倍晋太郎安倍晋三の地盤となっていく。難波は逮捕後、大逆罪で起訴され最終弁論でも「自分の行為はあくまでも正しい」と主張。大審院は翌年死刑判決。2日後に執行された。

★事件よりもその余波が、日本近代史に大きく影響を与えたといっていい。震災の直後で東京には戒厳令が敷かれ、韓国・朝鮮人の殺害、無政府主義への弾圧、25年に成立した悪名高い治安維持法の遠因ともいわれ、17年のロシア革命など世界の激動と合わせ共産主義社会主義に対する不安と反発が強まり反共思想の原点になったともいえる。制度、価値観、憲法など相いれないものも多いが近代史の連続性から見ると興味深い。(K)※敬称略