(ぎろんの森)「平和国家」とは、何か - 東京新聞(2022年2月19日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/161185

十六日朝刊社説「『平和国家』の礎強固に」に、読者から「『平和国家』の定義を知りたい」との声をいただきました。せっかくの機会です。私たちが考える「平和国家」について、これまでの社説を踏まえてご紹介します。
端的に言うと「戦争をしない国」「戦争をさせない国」で、根本にあるのは憲法九条です。繰り返しにはなりますが、条文を紹介します。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
九条は戦後日本の外交・防衛政策の基本指針です。安倍政権時代の二〇一三年に策定された「国家安全保障戦略」は「我が国は、戦後一貫して平和国家としての道を歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持してきた」「我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない」と明記します。この記述は概(おおむ)ね妥当と考えます。
十六日社説で訴えたのは、政権が進める安保戦略の改定で、平和国家の歩みが蔑(ないがし)ろにされるとの危機感です。
厳しさを増す日本周辺の情勢変化に応じて国民や主権、領域を守るための備えをしておくのは当然です。日本だけでなく世界の平和にも積極的に貢献する必要もあります。
ただ、やみくもに防衛費を増やしたり、防衛装備を強化すればいいわけではありません。自国防衛の努力が軍拡競争を加速させ、逆に自国を危機にさらす「安全保障のジレンマ」に陥るからです。
ましてや外国領域に入って攻撃するような「敵基地攻撃能力の保有」を認めれば「戦争をしない」平和国家の歩みは大きく毀損(きそん)されます。
プロイセン軍事学者クラウゼビッツは、戦争とは政治の延長線上にあると指摘しました。軍事衝突は政治・外交の失敗ですから、武力に訴えず、外交で問題解決に努めることが「平和国家」のあるべき姿と考えます。 (と)