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「よくぞ日本男子に生まれけり」。真珠湾攻撃成功の第一報を聞いた日本海軍のある将校はこう語ったそうだ。作家、半藤一利さんの『十二月八日と八月十五日』にあった。
八日は太平洋戦争の開戦日である。一九四一年の開戦に対し、米英の圧迫に長く苦しんだ国民は熱狂し、一種の解放感を味わったとはよく聞く。詩人の金子光晴のように開戦に腹を立て「蒲団(ふとん)をかぶってねてしまった」という人は少数だったかもしれぬ。
「よくぞ日本男子に生まれけり」。が、「よくぞ」も長くは続かない。井伏鱒二の『黒い雨』。こんな場面がある。被爆後の広島で死体を片付けながら、兵士がこうつぶやく。「わしらは、国家のない国に生まれたかったのう」
戦争へと導いた国家への憤り。勝てないと分かりきった、戦争の道を国家が選び、結果、国民に塗炭の苦しみを与えた。「生まれたかったのう」。平和な時代に生まれ合わせなかったことへの恨み言だろう。
「親ガチャ」なる言葉を今年はよく聞いた。カプセル玩具と同じで親は選べない。いやな流行語だが時代もやはり選べぬ。戦争に生まれ合わせた人間は不運では片付けられない「時代ガチャ」を引かされたということか。
これから生まれてくる子どもたちに何ができるか。どのカプセルを引いても「平和」しか出てこない、そんな「時代ガチャ」をこしらえるしかあるまい。