<金口木舌>戦没者を癒やすのは - 琉球新報(2021年11月29日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1430307.html

本部町八重岳で「止まれ!」と怒号が響いた。防衛省統合幕僚監部が八重岳山頂付近で実施を予定していた電子戦を想定した訓練が、思わぬ妨害に遭ったときのことだ

▼上官が停車を命じたのは桜並木の枝にトラックが引っ掛かり、折れそうになったからだ。隊員は車体の上に乗り、枝をどかしていたが前に進むにつれどんどん桜並木の間隔が狭くなり、立ち往生。数時間後に引き返す決断をした
▼「国防のために我慢すべきだ」「道路交通法違反で逮捕しろ」。市民らの抗議行動に対し、ネット上でこうした書き込みが散見される。八重岳の悲惨な歴史を踏まえた発言とは思えない
沖縄戦当時に北部で日米両軍が全面的に戦闘行為を繰り広げた八重岳。住民や日米双方の兵士、動員された県立三中(現名護高校)の学徒隊が命を落とした
▼今も八重岳の中腹の「三中学徒の碑」に花を手向ける遺族らが後を絶たない。県立第三高等女学校の生徒も「なごらん学徒隊」として八重岳の野戦病院に、少年たちは「護郷隊」として前線に動員された。敗残兵による住民虐殺もあった
戦没者と郷土の荒廃とすさんだ人の心を癒そうと1962年、渡久地政仁町長(当時)が米司令官に掛け合って2万ドルの補助を得て八重岳に桜が誕生した。人々の思いが詰まった桜並木のそばを自衛隊車両が通る。やはり腑(ふ)に落ちない光景ではないか。