(余録) 1945年の4月… - 毎日新聞(2021年6月23日)

https://mainichi.jp/articles/20210623/ddm/001/070/103000c

1945年の4月、米軍が上陸した沖縄の日本軍は軍内に配布した会報でこう命じた。「沖縄語ヲ以(もっ)テ談話シアル者ハ間(かん)諜(ちょう)トミナシ処分ス」。地元の言葉で話す人々はスパイとみなして処断するというのである。
実際に各地で軍によりスパイと疑われた民間人殺害が続発した。先の軍令に先立ち、大陸や南洋から転用された軍の部隊は沖縄の住民に外地と同じような不信を抱いていたという。「防諜ニ厳ニ注意スヘシ」は軍司令官の訓示だった。
本土と文化を異にする住民への軍の猜疑心(さいぎしん)が、老若男女を巻き込んだ凄絶(せいぜつ)な戦禍をさらに陰惨なものにした沖縄戦だった。そんな歴史に刻まれた記憶の傷をうずかせる新たな法律の成立を耳にする中で迎えた76年後の慰霊の日である。
基地や原発などの重要施設の周辺の土地利用を調査・規制できる重要土地利用規制法である。施設の周囲1キロ圏内や離島を「注視区域」などにできるこの法律が、広大な米軍基地を抱える沖縄に大きな影響を与えるのは避けられまい。
嘉手納町は全域が規制対象になるし、普天間飛行場周辺の住民は10万人に近い。複数の基地の1キロ圏が重なり合う地域もある。それなのに規制や調査の規定はあいまいで、住民が広範な監視の対象になると心配されるのも無理はない。
沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ」は、沖縄戦での老若男女の献身をたたえ、後世特段の「高配」を本土に求めた海軍司令官の決別電だ。「高配」がこれか、とのため息がどこからか聞こえてきそうな慰霊の日である。