原爆症判決 救済の精神はどこへ - 東京新聞(2020年2月29日)

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被爆者の訴えは最高裁で退けられた。原爆で病気になったが、「要件を満たさない」と原爆症と認められなかった。「患者切り捨ての判断だ」との非難がある。なお国は救済の道を探るべきである。
不当判決」と書かれた紙が最高裁の前で広げられた。「納得できない結果に心が折れそうになった」と原告は語った。確かに今回の判決は行政の現状を追認し、救済を後退させる内容といえる。
原爆症の認定と訴訟の歴史的経緯を探ってもそれが言える。もともと被爆者健康手帳を交付されても原爆症と認められ、医療特別手当が支給されるのは難しかった。審査が厳しく、認定者は当初、1%にも満たなかった。
そのため被爆者が認定を求める訴訟を相次いで起こし、約九割が勝訴した。司法が救済したのだ。それゆえ二〇〇八年になり国は積極認定するよう基準を緩和した。〇九年には当時の麻生太郎首相が日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)と確認書を結び、「訴訟で争う必要のないよう解決を図る」と合意している。
だが、第二次安倍晋三政権になって国は一転し、一四年、現に医療を必要とする状態である「要医療性」を厳しくする運用に見直した。その結果、月約十四万円の医療特別手当から月約五万円の特別手当に移行されるケースが続出した。明らかな逆行である。
 今回の原告三人は広島や長崎で被爆して白内障などにかかり、いずれも経過観察中だった。最高裁は「経過観察が行われているだけでは医療が必要な状態とはいえない」としたうえ、「積極的な治療の一環だといえる特別の事情が必要だ」という初判断をした。
その結果、一審・二審で「要医療性」を認められた原告まで最高裁ではねつけられてしまった。司法の後退であり、今後の国の審査をさらに厳しい方向に向かわせる可能性さえある。
認定審査に影響は必至といえよう。「被爆者の切り捨て」の声が上がるのも当然である。
被爆者援護法は「原爆投下による健康被害は特殊であり、総合的な援護策を講じる必要がある」旨を定めている。当然ながら、救済は「国の責任」ともしている。
一人でも多くの被爆者を救済するのが従来の国の約束だったはずである。「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」でもあったはずだ。救済の精神にのっとった新たな制度設計が求められる。