昭和天皇の言葉 歴史の実相解く糸口に - 東京新聞(2019年8月22日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019082202000181.html
https://megalodon.jp/2019-0822-0824-44/https://www.tokyo-np.co.jp:443/article/column/editorial/CK2019082202000181.html

昭和天皇が独立回復式典で戦争への「反省」を表明しようとした。初代宮内庁長官が残した記録で判明した。当時の吉田茂首相の反対で削除された。昭和史の重要資料で、全文公開を求めたい。
「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」(一九五二年一月十一日)。初代宮内庁長官を務めた故田島道治が記録した「拝謁記」にある言葉だ。手帳やノートで計十八冊にのぼり、遺族から提供を受けたNHKが一部を公表した。
後悔や反省のお言葉は五二年五月の式典で語られるはずだった。吉田首相は「戦争を御始めになつた責任があるといはれる危険がある」と反対した。天皇の謝罪については加藤恭子氏の先行研究があり、すべてが新事実とまで言えない。だが、君主から象徴天皇へと移りゆく昭和天皇の内面を再検証できる意義はあろう。
まず反省の中身とは何であったか。戦争そのものが天皇自身にも痛恨の極みだったと察せられる。「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或(あるい)はもつと早く止める事が出来なかつたかといふやうな疑を退位論者でなくとも疑問を持つと思ふ」-。そのような記述からも心情がよく理解できる。
開戦のはるか前に戦争を食い止められたというのだ。ただ当時は軍内部でも上層部を無視する下剋上(げこくじょう)の風潮があった。だから「事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた」とも回想する。言い訳との批判も出そうだが、退位の覚悟を伴っている。「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬ」-反省も退位も昭和天皇の本心で信頼にたり得よう。
統治を掌握する総攬(そうらん)者、陸海軍の大元帥でも防げなかった戦争とは何か。開戦の実相を解くさらなる研究を待ちたい。
反省の方向が進軍した諸外国に必ずしも向けられていないのは残念である。ただ、中国での南京事件には「ひどい事が行ハれてる」と聞いたとし、「此事(このこと)を注意もしなかつた」と悔やんだ。歴史を修正するがごとき言説がまかり通る現在、昭和天皇の言葉は格段の重みを発するはずである。
憲法改正再軍備への言及には、長官から「それは禁句」といさめられてもいる。まずは膨大な記録全文を公開するよう宮内庁は努めるべきである。
なぜ泥沼の戦争に突入していったか、その糸口になる資料でもある。昭和史への視野がさらに広がろう。