(筆洗)日本語で歌うべきか、それとも英語か - 東京新聞(2019年3月19日)

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日本語で歌うべきか、それとも英語か。一九七〇年にこんな対立があったそうだ。「日本語ロック論争」である。
日本のロックに独創性を加えるため日本語にこだわった大滝詠一さん、細野晴臣さんらの「はっぴいえんど」に対し日本語はロックの音にはなじまないと強く異議を唱えた人がいる。亡くなった内田裕也さんである。
若い人には樹木希林さんの夫で、やや風変わりな人物に見えていたかもしれぬ。が、間違いなく日本のロックの土台を築いたお一人である。
英語で歌うべきだという当時の主張の裏にあったのは内田さんの世界戦略である。日本にロックがあるなんて世界では誰も知らぬ。世界に出るには英語で歌うしかない。そう考えていた。
ビートルズ来日時に前座を務めた。前座と言われると機嫌が悪くなった。前座ではなく共演。世界そして日本人であることを強く意識していた人だろう。その成果として内田さんプロデュースの「フラワー・トラベリン・バンド」がある。歌詞は英語。それでいて強烈な東洋のにおい。カナダでもヒットした『SATORI』(七一年)は今なお輝き続ける日本のロックの最高峰である。
私生活は安定を欠いていたかもしれぬ。無謀な都知事選出馬もあった。それも自由で何ものにもとらわれぬ内田さん流のロックの態度だったか。七十九歳。大音響のレコード盤が今止まった。

 


Satori