http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018081602000149.html
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「戦争体験者や被爆者の話を生で聞ける最後の世代。必ず伝えていく」。戦後七十三年目の十五日は、平成最後の「終戦の日」となった。平成生まれの若者たちは、平和への思いを未来へ語り継ぐ方法に思い巡らせた。 (井上靖史)
神奈川県藤沢市のJR東海道線辻堂駅前。県内に住む女子高校生八人が、市民実行委員会主催の「ふじさわ・不戦の誓い 平和行動」に参加した。ふだんから核兵器廃絶に向けた署名活動に取り組んでおり、平和を目指す趣旨は同じと合流。署名や平和の大切さを呼び掛けた。
「被爆者の方は高齢化が進んでいる」。捜真(そうしん)女学校(横浜市神奈川区)二年の佐藤ハンナさん(17)はマイクを握り、危機感を口にした。本紙の取材に「次の世代が戦争の悲惨さを十分に理解できる年代になる頃には、体験者はほとんどいなくなってしまう。私たちの世代が語り継がなければ誰も戦争を知らない国になる」と強調した。
曽祖父は一九四四年、広島・呉港から空母でフィリピンに向かう途中、撃沈されて亡くなった。幼少期から社会科教諭の父に連れられ、被爆地の長崎を訪れるなどしてきた。だが三歳で父親を失った祖母の斎藤ケサ子さん(77)から体験を聞き出すことは、なかなかできなかった。
国連などに核兵器廃絶を訴える高校生平和大使に県代表として選ばれた今年、初めてケサ子さんから曽祖父の話を聞いた。骨も届かず戦死を知らせる紙だけ届いたという。「積極的に尋ねなければ、話せない人もいる。まずは多くの体験者に話を聞きに行きたい」
参加者の中には、昭和ひとけた世代の小坂治男さん(87)=藤沢市=の姿があった。自らは新潟県に疎開中、都内の家を空襲で焼かれた。むしろ力を入れてきたのは、大正生まれの元兵士らから体験を聞き取り、学校などを回って紹介する語り部の活動だ。大正から昭和、そして平成へ。世代間の橋渡し役になれたらと願う。
小坂さんはこの日、同級生のことを佐藤さんたちに話して聞かせた。戦時中、生まれたばかりの弟の指に障害があるのを見た助産師が母親に「この子は銃の引き金を引けない。処置するか」と殺すかどうかの判断を迫ったという。小坂さんは「同じ子どもでも戦力として使える男児が女児より歓迎された」と当時の社会の空気を伝えた。
佐藤さんと一緒に話を聞いた横浜平沼高(横浜市西区)二年の伊藤美月(みづき)さん(17)は「ショック。国のためになるかどうかで価値判断されたなんて」と言葉を失った。中学時代に平和学習で戦争の怖さを知った伊藤さん。「戦争の怖さ、残酷さを、若者らが自分からはなかなか知ろうと思わない。でも唯一の被爆国。体験者の方から聞き取ることはもちろんだが、記録に残し、伝えていく効果的な方法が何か考えていきたい」と誓った。