両陛下来県 平和願う姿勢の継承を - 琉球新報(2018年3月28日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-690218.html
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天皇、皇后両陛下が「地方事情視察」のため来県した。来年4月末の退位が決まっており、在位中には最後の機会とみられる。
天皇はかつて「日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つある」と述べ、その一つとして「6月23日の沖縄の戦いの終結の日」を挙げている。
皇太子夫妻として1975年7月、初来県した。「ひめゆりの塔」で献花直後に火炎瓶を投げ付けられた。その夜、天皇は談話を発表した。
「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」
心を寄せ続け、今回で11回目の来県となった。糸満市摩文仁国立沖縄戦没者墓苑で献花し、遺族らと向き合った。
 ちょうど73年前のこの時期に沖縄戦は始まった。沖縄戦の目的は沖縄の住民を守ることではなく、国体護持、本土防衛のための捨て石作戦だった。多数の住民を根こそぎ動員で国策に協力させた末に、軍民混在となった戦場で死に追いやった。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。沖縄戦の教訓と、両陛下が平和を願う姿勢を次代の皇室に継承してほしい。
天皇は96年12月の会見で「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と述べている。この年の4月に、日米両政府は米軍普天間飛行場の返還を発表している。天皇の発言は基地問題の解決を指すものとみられる。
しかし、その願いとは逆の事態が進行している。普天間飛行場はいまだに返還されていない。安倍晋三首相は「基地負担の軽減に全力を尽くす」と言いながら、政府は沖縄の民意に反して名護市辺野古で新基地建設を強行している。これ以上の基地負担を拒否するという県民の訴えを来県中に受け止めてほしい。
46年1月、連合国軍総司令部(GHQ)は、北緯30度以南の南西諸島を政治上、経済上、日本から分離すると発表した。この年の11月、日本国憲法が公布された。日本と切り離された沖縄住民は、戦争の放棄を掲げる9条の条文を知り、平和憲法に憧れた。
天皇は80歳の誕生日会見で「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法をつくり、さまざまな改革を行って今日の日本を築いた」と述べている。
72年、沖縄は平和憲法の下に復帰した。しかし、米軍による相次ぐ事件事故、新基地建設強行にみられるように、沖縄では今でも憲法の基本理念がないがしろにされている。「象徴天皇」として憲法を順守する天皇に、この事実を受け止めてもらいたい。