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皇太子時代を含め11回来県された天皇陛下が退位する。平成の30年間、県民と交流を重ねながら沖縄への思いを深めてきた。その姿勢は日米両国のはざまで苦悩し続ける沖縄の平成史を振り返る上でも重い意味を持つ。
沖縄に対する陛下の思いは昨年12月の会見で語られた「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきた」「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはない」というコメントに凝縮した形で表れている。
発言は、太平洋戦争の末期に沖縄を本土防衛の「捨て石」に供し、戦後は沖縄の施政権を切り離して、平和と安定を獲得した現代史の裏面に光を当てるものだ。それは、沖縄の厳しい境遇に無関心な多くの国民に自覚と反省を促すものとも言えるだろう。
陛下は沖縄戦犠牲者を追悼することで沖縄に寄り添う姿勢を示し、平和を希求してきた。その精神が令和の時代にも続くことを願う。
沖縄の文化や伝統芸能にも造詣が深い。在位30年記念式典では陛下が作った琉歌が県出身歌手の歌唱で披露されたことも話題になった。
即位後の発言や行動は、沖縄を戦場にしたことへの贖罪(しょくざい)の念の表れであろう。来県のたびに糸満市の国立戦没者墓苑や平和施設などに赴き、沖縄戦体験者や遺族らと語らう陛下の姿は、皇室に対する複雑な県民感情を和らげた。
しかし、県民のわだかまりが消えたとは言い切れない。沖縄の命運に関わった重い責任が昭和天皇にはある。
近衛文麿元首相が終戦を具申した1945年2月の「近衛上奏文」を昭和天皇が受け入れたなら、沖縄戦の惨禍は回避できたかもしれない。
昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年9月の「天皇メッセージ」も沖縄の米統治に影響を与えた可能性がある。新憲法下での政治的行為だった。
沖縄に関する限り昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。それらをあいまいにはできない。二度と同じ悲劇を繰り返してはならないからだ。
「即位後朝見の儀」で陛下は「憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」と述べた。天皇の名の下に戦争へと突き進んだ過去の反省を込めたものと言えよう。
2013年4月28日に開かれた政府主催の「主権回復の日」式典に安倍政権が陛下を招いたことは政治利用の一つだった。陛下自身の意にも反していたのではないか。憲法順守の姿勢は新天皇にも引き継がれなければならない。
陛下は原爆が投下された広島、長崎にも思いを寄せ、東日本大震災など自然災害の被災地を訪れ、人々を励ましてこられた。国民と共に歩む皇室の在り方を実践してきた。
象徴天皇としての務めを全うしたと言えるだろう。