(辺野古・高江裁判)見せしめが萎縮を生む - 沖縄タイムズ(2018年3月15日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/223080
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国内外の人権団体や平和運動団体からも注目された判決だった。
多くの支援者が危機感をもって那覇地裁前に集まったのは、辺野古や高江を巡る政府の対応があまりにも強権的だからである。
名護市辺野古の新基地建設などに対する抗議行動を巡り、公務執行妨害や威力業務妨害の罪などに問われた山城博治・沖縄平和運動センター議長(65)ら3人の判決公判が14日、あった。
那覇地裁は、山城議長に懲役2年、執行猶予3年(求刑懲役2年6月)の有罪判決を言い渡した。
共犯として威力業務妨害罪に問われた男性(67)と傷害罪などに問われた男性(45)も、執行猶予付きの有罪判決を受けた。
だが、裁判所は、米軍基地を巡る沖縄の歴史や現実にはまったく触れなかった。なぜ、このような抗議行動が起きたのかという背景にも関心を示さなかった。
キャンプ・シュワブのゲート前に大量のブロックなどを積み上げ、工事用車両の搬入を阻止しようとしたことなどの事実を取り上げ、「表現の自由の範囲を逸脱している」と断じたのである。
この判決は大きな副作用を生むおそれがある。傷害罪の成立を認めることによって憲法で保障された市民の正当な抗議行動と反対意見の表明を萎縮させかねないのである。
「意見および表現の自由」に関する国連特別報告者のデービッド・ケイ氏が、訪日後にまとめた報告書の中で危惧したのはこの点である。

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米軍基地を巡る裁判で、決まって、住民側から提起される問いがある。
「本来、問われるべきは何なのか」「裁かれるべきは誰なのか」という問いかけだ。
辺野古の新基地建設や高江のヘリパッド建設で浮かび上がったのは、目まいがするような政府側と住民側の「不均衡」である。
警備陣の暴力的な警備によって住民側には負傷者が相次いだ。違法行為や違法な疑いのある行為も目立った。
名護市長選や知事選、衆院選などで新基地建設に反対する候補者が当選し、明確に民意が示されたにもかかわらず、一顧だにせず、強引に工事を進めた。
その結果、高江や辺野古の現場では、取り締まる側と市民の間に著しく「衡平(こうへい)」を欠いた状態が生じてしまったのである。
判決後の記者会見で山城議長は「沖縄の実態を見ようとしない不当な判決だ」と声を荒げた。

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判決は「共謀」の認定についても、厳密さを欠いているところがある。「共謀」と認定される行為の範囲が広がれば、表現の自由に対する重大な脅威になるだろう。
裁判所にはもともと限界があり、過剰な期待をもつのは禁物だが、「人権のとりで」としての司法がその役割を果たさず、行政と一体化すれば、三権分立は成り立たない。
辺野古・高江裁判は、日本の民主主義を、根っこから問う裁判といっても過言ではない。