<憲法を見つめて 福島の権利>(下)個人の尊重、奪うな 「生業を返せ」。声を上げ主権者になる - 東京新聞(2018年3月5日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018030502000112.html
https://megalodon.jp/2018-0305-0932-55/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018030502000112.html

衆院選が公示された昨年十月十日午前、首相の安倍晋三(63)は福島市の農村部を第一声の場に選び、震災復興を前面に押し出した。
一方、同じ日の午後、東京電力福島第一原発事故を巡る全国の集団訴訟のうち、原告数が最多約三千八百人の「生業(なりわい)訴訟」の判決が福島地裁であった。裁判長は国と東電の責任を認め、賠償金の上積みだけでなく、対象範囲を茨城県の一部地域まで拡大した。
生業訴訟の正式名称は「『生業を返せ、地域を返せ!』福島原発訴訟」。農家は先祖代々の田畑を汚染され、漁民は豊かな漁場を奪われ、生活を立てるための仕事(生業)を喪失した。
「首相は『国難突破解散』と言ったが、この判決こそ国難突破判決だ」と強調するのは、原告弁護団事務局長の弁護士、馬奈木厳太郎(まなぎいずたろう)(42)。「原告たちは被災者のまま終わろうとせず、自らの力で困難な状況を突破しようとした。憲法に『国民主権』とあるだけでは主権者になれない。主権者として行動することで初めて主権者になれる。憲法の実践がまさに生業訴訟だ」
提訴は原発事故から二年後の二〇一三年三月。よりどころは、「すべて国民は、個人として尊重される」と個人の尊重や幸福追求権を定めた憲法一三条だ。訴状にはこう記した。「憲法の理念に立ち返り、『個人として尊重される』という意味を問い直すことが必要ではないか」
福島県相馬市でスーパーを経営する原告団長の中島孝(67)は原告団の会合が開かれるたびに、「憲法を読もう」と呼び掛ける。
地元の漁港から仕入れた魚が評判の店だった。それが事故後、漁業者は放射能被害で全面操業停止に追い込まれ、県外産に頼らざるを得なくなった。最近は試験操業で揚がる魚種も増えてきたものの、「お客さんは放射能の心配に疲れ果て、忘れたふりをしているだけのように感じる。自信を持って商売できない」といら立ちを隠さない。
落ち込んだ時にひもとくのが憲法だ。「不安がることが風評被害につながるとか、裁判は復興の妨げになるとか言われるが、不安なものは不安だ。憲法は、不安がるのも権利だと背中を押してくれる」
その憲法を変えようとする動きが急だ。自民党が野党時代の一二年にまとめた憲法改正草案は、一三条の「個人」を「人」に言い換えた。同党は草案を「そのまま提案することは考えていない」として事実上封印し、現在の改憲項目に一三条は入っていない。しかし、中島は「あの草案が自民党の本音だろう。個人を尊重する気持ちがないのではないか」と警戒する。
原告の久保田美奈穂(39)は息子二人とともに、住んでいた水戸市から那覇市へ避難した。沖縄とは縁もゆかりもなかったが、原発のない場所に行きたかったという。「国を信じていたが、守ってくれなかった。今も事故や震災を思うと、胸がドキドキする」
原告側は「国の責任を明確に認めたことは評価できるが、賠償の水準や対象範囲が不十分」として仙台高裁に控訴、国と東電も控訴した。久保田は覚悟する。
「沖縄の基地問題でも多くの人が声を上げている。黙っていてはまた事故が起きる。声を上げ続けることが私にできることです」 (文中敬称略、佐藤圭)