「先生も非行少年だったんだ」 髪を染め持ち歩くナイフ 尖った心を変えたのは… - 沖縄タイムズ(2018年1月23日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/198296
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◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ−(8)第1部 立ち直り 琢哉 恩師と共に(中)
「先生も非行少年だったんだ」。2011年4月、沖縄少年院の反省用の単独室。長期処遇担当の教官だった武藤杜夫(40)は、向き合った原琢哉(24)にこう打ち明けた。中学時代の武藤は不登校で、成績は3年間オール1。髪を染めてナイフを持ち歩き、大人に反発する不良少年だった。他人との競争が息苦しく、地図帳を片手に家出を繰り返した。
高校に進学するもまじめに通わず、ヒッチハイクで東北を1周するなど全国を放浪した。沖縄に魅せられ、竹富島で働きながら三線を学んだ。いろいろな人と出会って知った多様な生き方。自分らしく生きていいんだと教わった。
「人との出会いで人生が変わった。今度は自分が誰かの出会いになりたい」。1日12時間以上の猛勉強。23歳の時、立ち直りを支援する矯正職員の難関試験に一発で合格した。
赤裸々に明かされる武藤の過去。「エリートコースを歩んだ口うるさい教官」と思い込んでいた原は驚いた。そして「少年院で目立つことから一緒にやってみないか。目の前のことに、全力で取り組んでみないか」との提案に乗った。
翌日から2人は活動を共にする。大声であいさつし、靴をそろえ、トイレは隅々まで磨いた。
きつい体育の授業にも、傍らにはいつも武藤がいた。炎天下の1時間走。自分より先を走る武藤の背中を必死で追い掛けた。休日にも必ず顔を出し、ずっとそばにいてくれる武藤が心配になった。でも、その熱意がうれしかった。
これまで周りの目を気にし、まじめに取り組むことは「ださい」と思っていた。見えを張って反発し、やるべき事から逃げる方がよっぽど恥ずかしいと気付く。原は次第に院内の模範となり、周囲にも良い影響を及ぼした。
地域の不良集団のつながりが強い沖縄では、共犯関係にあった少年同士が院内で生活を共にすることが多い。悪ぶって、意地を張り合うこともしばしばだ。
「お前、何まじめじらーしている? 良い子にして早く出ようとしているば?」。先輩からの執拗(しつよう)な嫌がらせにもぐっとこらえた。「もう周りの目は気にしない」。入院生活は一度も延長されず、11カ月間で卒業した。
それでも更生への道のりは順風満帆ではない。「もう暴走はしない」と決めて少年院を出た当日、暴走族仲間の3人が家の前で待っていた。「また一緒にやろうぜ」。命を大切にすると強く誓った18歳の決意は、誘惑を前に揺らいだ。=敬省略(社会部・山城響)