(筆洗)「排除の論理」が失速の引き金 - 東京新聞(2017年10月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017102402000132.html
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ソプラノの美声に恵まれた十一歳の英国の少年は聖歌隊の一員に選ばれた。ソプラノは花形で授業も一部免除され、エリザベス女王の前で、歌声を披露する名誉にも与(あずか)った。
悲劇は二年後である。指揮者が聖歌隊から排除した。理由は変声期。免除されたはずの授業を下の学年でやり直せと言われた。少年は荒れ狂った。ローリング・ストーンズキース・リチャーズの幼き日。学校、あらゆる権威を疑うようになったと書いている。
理において声の出ぬソプラノに用はない。それは分かる。されど情においては酷である。こっちの排除も分からぬわけではないのだ。希望の党民進党離党者に改憲などで一致しなければ公認しないという「排除の論理」が失速の引き金となった。
政党である以上、政策、主張の一致を見たい。当然である。それでも「排除する」に世間の情が反発したのは、か弱き者や少数意見が排除され、無視されやすい時代と無関係ではあるまいと想像する。
だれ一人排除しない。見捨てぬ。そういう心優しき政治を恋うておるのに「排除する」の一言に、希望の名にし負う包容力も温かさも感じられなかったのだろう。
排除されかかった人で結成した立憲民主党野党第一党になった。「おきざり」の痛みを分かってくれまいか。そんな期待と見る。世の中に不満を感じるとストーンズを聴きたくなるものだ。