(余録)東京湾の埋め立て地の一角に… - 毎日新聞(2017年9月10日)

https://mainichi.jp/articles/20170910/ddm/001/070/184000c
http://archive.is/2017.09.10-012008/https://mainichi.jp/articles/20170910/ddm/001/070/184000c

東京湾の埋め立て地の一角に東京都江東区の枝川地区はある。「十畳長屋」と呼ばれるトタン壁の住宅が昔の面影をわずかに残している。1941年、当時の東京市が、周辺に住む在日コリアン強制移住させた。
40年の開催を目指した東京五輪の関連施設をつくるのが目的だった。日中戦争で五輪は幻に終わったが、市は住民の反対を押し切って計画を進める。ゴミ焼き場のハエに悩まされる土地に1000人を超えるコリアン街ができた。
住民は助け合って暮らした。45年3月10日の東京大空襲。総出で消火し、下町が焼け野原となる中で、枝川は焼失を免れる。そこへ押し寄せたのは被災した大勢の日本人だ。
「東京のコリアン・タウン 枝川物語」(「江東・在日朝鮮人の歴史を記録する会」編)に証言が残る。「(被災者は)何千人じゃないかなー。みんなで炊き出しをやって助けたんですよ、握り飯やどぶろくを出してね」。住民は食べ物や着物を惜しまず与えた。
下町には関東大震災の時に多くの朝鮮人が虐殺された過去がある。虐殺はあったのかと問われた小池百合子都知事は「さまざまな見方がある」と明言を避けた。日本人に虐げられてもなお、空襲の被災者に手を差し伸べた枝川の住民がいたことを思わずにはいられない。
枝川の街から運河を一つ越えれば、五輪開催で開発に沸く豊洲地区だ。五輪を控えて小池知事が掲げる「ダイバーシティー」とは、国籍や性別に関わらず、人の多様性を尊重する社会を意味している。