週のはじめに考える 政治家と官僚と国民と - 東京新聞(2017年6月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017062502000136.html
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国会は閉じても加計(かけ)学園問題の幕引きは許されません。事の本質は、政治家と官僚が敵対する傍らで真に国民のための行政が蔑ろ(ないがし)にされていることです。
「森友」「加計」問題と続いた一連の“忖度(そんたく)行政”ではっきりしたのは、安倍政権による霞が関支配の極端な強さでした。
「総理のご意向」などを後ろ盾に、官僚を忖度の糸で操り、政権に歯向かう者には人格攻撃まで仕掛けて抵抗を封じる。ここまで強権の支配力は一体、どこからくるのでしょうか。二つの断面から切り取ってみます。

◆補い合う関係だった
一つは歴史的な背景です。
戦後日本の政治家と官僚は補い合う関係でした。復興期、官僚たちもまだ貧しい社会の一員に身を置いて、いつか豊かな時代を切り開こうと気概に燃えていたはずです。安定政権の高度成長戦略に呼応し、官僚は成長成果の公平な配分政策で支える。こうした関係が繁栄の礎にもなりました。
けれど、成長が行き詰まるにつれ、この関係も崩れていきます。かれこれ四半世紀前の一時期。まず主導権を握ったのは官僚側でした。ヤマ場は、一九九四年二月三日、未明の記者会見です。
非自民の八党派連立政権を率いる細川護熙(もりひろ)首相は突如「消費税を福祉目的税に改め、税率を3%から7%に引き上げる」国民福祉税の構想をぶち上げたのでした。
消費税の増税を軸とする財政改革は大蔵省(現財務省)の悲願。対する連立の政権基盤はまだ薄い。細川氏や側近の回顧録によればこの当時、大蔵省の“豪腕”事務次官らが、新政権の中枢にしきりに接触してくる様子がうかがえます。
細川氏の日記には、あまりに強硬な官僚主導に対し、首相が気色ばむ場面も出てきます。

◆敵対関係に駄目押し
「大蔵省のみ残りて政権が潰(つぶ)れかねぬような決断は不可と強く叱正(しっせい)す」。民主主義の基本に沿えば官僚は、選挙を経た政治家の下に立って支えるのが、本来あるべき姿です。首相の叱正は、政治側の意地でもあったでしょう。
結局、最後は官僚側に押し切られた末の未明の会見でしたが、強引さが批判され、細川政権はこの二カ月後崩壊。大蔵省もその後、政治側の“意趣返し”で本省から金融部局を分離され、権威はみるみる失墜していきました。
こうして政治との敵対関係から始まった官僚の弱体化は、歯止めなく一方的でした。極め付きは二〇〇九年九月、官僚が事実上、閣議を振り付けていた「事務次官会議」の廃止です。歴史の振り子は勢いを増して、政治主導の極端へと振り切れていきました。
そして、もう一つの断面。その振り子に駄目を押したのが、内閣人事局の存在です。縦割り行政打破の名の下に、国家公務員の人事を首相官邸で一元管理するため一四年に設置されました。加計問題で渦中の萩生田(はぎうだ)光一・内閣官房副長官が今の局長です。
問題は、官僚側の命脈である省庁の幹部人事が一括、ここに握られていることです。それがために官僚たちは、省庁の行政判断よりも、政権の意向を忖度して動くことで組織を守ろうと考えるようになる。その結果が都合悪くなれば政権は「勝手に忖度した」官僚側の責任にもできる。となれば、これが加計問題に浮かんだ「官邸一強」のやはり正体でしょう。
しかし、内閣人事局の仕事は何も幹部人事だけではない。本旨はむしろ、国の将来も見据えて行政基盤をしっかりと支えうる官僚集団を育成し、未来に引き継いでいくことです。次に続く人材を確保するためにも、官僚たちが士気高く働けるような環境作りが重要でしょう。
その士気を高めるためにこそ、求められるのは政治側から官僚側への歩み寄りです。共に国民生活の向上へ。政治家は政策決定力を今以上に磨き、官僚も共感して情報力や知識力で支える。たとえばあの戦後のような補い合う関係に再び歩み寄れないものか。

◆今と将来に共同責任
いま私たちが立ち返ってみるべきは、国民主権を謳(うた)う憲法上、政治家は「全国民の代表」であり、官僚は「全体の奉仕者」ということです。行政に携わる政治家と官僚には、今と将来の国民に負うべき共同の責任があるはずです。両者が敵対する関係では、到底その責任は果たしえないでしょう。
歩み寄りなどとは対極の加計問題で、現政権が見せた一方的な官僚支配は、官僚たちの士気を高めるはずもなく、官僚を志す次代の若者たちをも遠ざけかねない。それは現代のみならず、未来の国民に対しても、国の行政基盤を築く政治の責任放棄として、禍根を残すのかもしれません。