(私説・論説室から)思いやりより人権意識を - 東京新聞(2017年6月5日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017060502000137.html
https://megalodon.jp/2017-0606-0911-25/www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017060502000137.html

障害者差別解消法の施行から一年余り。障害者が暮らしやすい社会に近づいたか。
この春、東京に住んでいるか活動している障害者約百二十人に東京新聞が尋ねたら、社会は良くなったと答えた人は22%にとどまり、70%は変わらないと答えた。大方の人は相変わらず生きづらいと感じているらしい。
ナマケモノ」呼ばわりされた知的障害者、飲食店に入れなかった盲導犬使用者、電車に乗るのに長時間待たされた車いす利用者。差別的扱いをされた人は35%に上った。
障害者の生活を妨げるバリアーをできる限り取り除くよう健常者に求めた法律だが、なかなか効果が表れないのはなぜか。
実はちまたで多用される「心のバリアフリー」というスローガンが、かねて気にかかっている。差別の解消には施設や設備のバリアーだけではなく、障害者と向き合う健常者の心のバリアーの除去が肝心といった意味だ。
では、バリアフリーの心とは。もしかすると障害者への思いやりや優しさ、いたわりの気持ちと誤解されてはいないか。現にそういう論調で報じるメディアも目につく。
もちろん、他者を思いやる心情はとても大切だ。でも、むしろ善意や厚意に頼らないと暮らせない社会は不平等だと、障害者は訴えているのだ。弱者の立場を強いる社会は不公平だと。道徳心ではなく、人権を尊ぶ精神。それがバリアフリーの心だろう。 (大西隆